富野監督:実は、『ガンダム』がきっかけでその道に進んだという研究者に、数年前に漫画雑誌『ガンダムエース』の対談で知り合ったことがあります。バイオエネルギーの教授が、ある研究者を指して笑うんですよ。「こいつね、このバイオエネルギーでガンダムを動かそうって本気で考えているんだよ」って。そういうところから裾野を広げていった時に、何かが起こるかもしれないというのは年寄りとしてはやっぱり期待したいところです。申し訳ないけど、今ここにいるような大人にわかってもらう話を作っている暇がなくて、10歳から15歳までの子たちが、これからこうなるのかとか、わからないけど何かあるのかもしれないという種まきをしたいと思って、僕はこの作品を作りました。
小形氏:落合さんの著書を読ませていただくと、コンピューターを使って人の認識能力がどんどん高まっていく時代が来ているということですよね。
落合氏:あれは、もろにニュータイプという設定に影響されていて、人間が3次元的に宇宙に出るようになると人の認識が拡大するという設定に僕は当時心打たれたんです。今では、宇宙よりもコンピューターがこの世界にはびこってしまったためにコンピューターの影響をきっかけにしていますが、でもそれはほぼ等価の議論なんですよ。
富野監督:「ニュータイプ」という概念を思いついた35、6年前の自分の気分で言えば、若い時には直線的にものを考えて未来を想像したくなりますよね。でも、この年になってくると、その部分が却下されてくるんだよということも『G-レコ』をやるときに考えていたことなんです。この前も落合先生と打ち合わせをしていた時に、「本当に人はニュータイプになりうるのか」という話になったのですが、僕はそこまで突破できないのではないのかという人間に対する絶望感が、年をとってからはあるんです。
人というのは共同社会の中でしか生きていけませんから、そこには組織が生まれます。組織があると、今度は派閥というものが発生してくる。派閥というものをコンピューターが上手にコントロールできるかというと絶対にうまくできないと思うんです。コントロールできなくなった時にコンピューターが怒って人類絶滅にするのかもしれないけど、電源切ればこっちの勝ちよねって話もあるわけ。電源切るやつもいれば、電源切らずに適当に使わせるやつもいれば、適当な情報を選んで、大衆には限られた情報しか知らせないという体制ができるかもしれない。
落合氏:どちらかというと、スマホの誕生によって人類の判断能力は徐々に低下していると思いますけどね。そうなると、意外に派閥争いとかしなくてもインターネットにすべてを任せるという世代もありうると思っています。
富野監督:そうなってくると怖いよね。我々はそこまで堕落していいのかということはもっと考えなくちゃならない。「我は我である」と自己認識することが、とても大事な時代がくるのかもしれませんね。
落合氏:でも、ガンダムが人の形をしているのはそういうことですよね。
富野監督:いえ、それはもっと簡単な話です。宇宙で人が暮らすようになった時に、一番大事なことがあるということで人型にしたんです。宇宙空間で、動物は自分と同じ姿を見たら一番安心するんですよ。だから、変な機械的な形にはしませんでした。そういった理由からガンダムは人型になっているんです。
それより問題なのは、100億の人類がこの地球で高度な科学技術のもとで暮らしていったらみんなが富裕層になる。みんなが富裕層になったら地球がパンクするよと。今の政治経済人は放射線物質の半減期を考えないでコストが安いという考え方をしている。でも、400年管理しなくちゃいけないというコストを考えた時に、それはコストパフォーマンスがいいかと考えるとそうじゃないだろうと。そういうことを除外してものを考えるシステムがあっちこっちにできていった時に、スマホとこういう考え方が並列的になると人類は堕落の堕落の堕落をするしかないんじゃないかなと思うんです。