自分のことを理解するために他人の情報が必要か?
ユーザー情報の活用は、Googleが既に実証しているように、ユーザーの作業を軽減し、また思いもよらない、しかし望んでいた発見をもたらす。
最近のGoogle Mapsのナビ機能は、買収したWazeに寄せられる事故などの情報を活用し、瞬時に新しいルートを提案する。1分でも早いルートが見つかれば表示され、ユーザーは瞬時の判断でそちらを選択することができるのだ。
Googleのポリシーでは、他人が辿ったルートの時間がフィードバックでき、自分が通る直前にその情報を利用できる。わかりやすくいえば、自分より10台前にその場所を通った2台の車が辿った2つのルートを比較できる、ということだ。
もし、他のユーザーのデータを使わない場合、同じナビの例であれば、自分が以前通った際のルートと通過時間の結果しかデータサンプルがなく、リアルタイムなルート提案も、公共サービスで提供されている渋滞情報以上のものを使うことができないだろう。
ユーザー全員をビッグデータのソースとして扱うか、それをしないかという考え方の違いがそこにある。Appleは後者を選んだことを強調しているのだ。
Googleのように、他のユーザーの情報も活用しながら最適な情報を作り出す選択をしなかったAppleは、公共データを活用しながら、じっくりとユーザーに向き合うことしかできない。
これは機械学習のテクニカルな話にもなり、メリット・デメリットが存在する。おそらく、Googleのほうが、より多くの人々の行動パターンを活用でき、リアルタイム情報を処理できる点で、フィードバックされる情報は充実する。
一方で、ユーザーの生活に密着しているスマートフォンに着目すると、ユーザーのあらゆる行動に着目することで、ユーザーの求めを先回りすることはできるようになるのではないだろうか。
例えば、1人の人の行動パターンと位置情報の相関をとる研究では、およそ6週間でユーザーの「日常」を把握できるとされている。より細かいアプリ利用や連絡する相手などを含めることで、iPhoneのデバイスの中でのユーザー行動の学習も、2カ月程度で十分に有効なパターンを見出すようになるのではないか、と推測できる。