本局の稲葉七段はこれを懸念して実戦では▲6八銀と穏やかな順を選んだ。また局後に「持ち時間が5時間の練習対局では飛の捕獲手順はほとんど成功しませんでした」とも振り返っている。
本局の会場である五稜郭は幕末に建造された西洋式の城塞。星形五角形の形状から名前がついた。明治維新における戊辰戦争、その最後の戦いとなった函館戦争の舞台として有名である。すぐそばに建造された五稜郭タワーでは、その展望階から星形城郭や函館市内を一望できる。また函館戦争ゆかりの人物についても説明されている。
函館戦争における著名人を1人挙げるとすれば土方歳三だろう。幕末の京都を震撼させた「新選組」の副長として有名だ。戊辰戦争で旧幕府軍側として戦った新選組は京都、江戸、東北といった各地の戦線を転戦し、函館へたどり着いた。このとき、局長として新選組のトップにあった近藤勇はすでに亡い。近藤と共に草創期から新選組を率いていた土方は、函館にてその幕引き役を務めることになる。
「鬼副長」と呼ばれた京都時代と戊辰戦争における悲愴さのギャップ、それに加えて現在に伝わる肖像写真のイケメンなマスク。前局の舞台、高知の英雄である坂本竜馬と対になる形で幕末の1番人気を争っていると言ってよい存在ではないだろうか。
稲葉七段は本局の敗因に「早く優勢になりたいという心理面の弱さがあった」ということを挙げている。酷な言い方をすればそれが如実に表れたのが図3の局面かもしれない。稲葉七段はここで▲2七歩と突いた。検討陣一同が驚かされた一着である。
図3の局面における2七への利きは先手が金と歩の2枚、後手が飛と銀の2枚で全く同じ。これを打開するには後手から△2七歩と打ち、▲同歩と釣り上げることで利きの数を1つ減らす手段がある。つまり図3では後手から△2七歩と打ちたいくらいの局面なのに、先手が自ら▲2七歩とやってきたのだ。対して△同銀成▲同金△同飛成ならば後手万歳の局面だが、当然そうはならない。
△2七同銀成に▲2五歩が受けの手筋である。△同桂と取らせることで飛の利きが塞がれた。よって先手は▲2七金と成銀を取ることができる。以下△3七桂成▲同金△2九飛成と竜を作った後手がうまそうに見える局面だが「銀得なので何とかなると思いました」と稲葉七段。確かにこの瞬間は後手の銀が1枚なのに、先手の銀は3枚。この差は大きい。
銀の枚数の差だけ見れば稲葉七段がしてやったりの局面と見えるが、それほど甘いものではない。稲葉七段も「何とかなると思った」と言っているのであって「必勝」などとは間違っても思っていない。それはなぜか、後手の竜の存在が大きいからである。
この竜によって次に1九の香を取られることは確定しているし、敵玉(稲葉七段から見れば自玉)近くに迫る竜の威力というのは見た目以上なのである。確認したわけではないが、人間同士の戦いで図3の先手を持って▲2七歩と指す棋士はほとんどいないと思う。では、なぜ稲葉七段はこの順を選んだのか。それは本局がソフトとの戦いだからと思われる。