今夏大ヒットを記録したハリウッド版『GODZILLA ゴジラ』のギャレス・エドワーズ。1998年に公開された前ハリウッド版『GODZILLA』のローランド・エメリッヒ。これまで海外で制作されたゴジラ映画において「監督」としてクレジットされたのは、一般の映画と同様、各作品につき1人しかいない。しかし、本家の日本のゴジラ映画では、1つの作品に2人の監督がいることをご存じだろうか。俳優によるドラマ部分を撮る「監督」と、ゴジラや超兵器などが登場する場面、いわゆる特撮シーンを演出する「特技監督」だ。
川北紘一――30代以上のゴジラファンにとってこの人の名前は、ひょっとしたら主役のゴジラ以上にスター的な響きをもつのかもしれない。平成シリーズと呼ばれる『ゴジラVSビオランテ』(1989年)から『ゴジラVSデストロイア』(1995年)までの計6作品で特技監督を務めた川北は、現在のところゴジラ映画における「特技監督」の肩書をもつ最後の人物である(『ゴジラ 2000ミレニアム』以降は「特殊技術」というクレジットに変わる)。
初代・特技監督の円谷英二に師事し、怪獣映画の草創期を知る特撮の生き字引であり、現在はドリーム・プラネット・ジャパンの代表として特撮映画の制作や後進の指導にあたる川北監督に、未だ冷めやらぬゴジラへの熱い思い、そして日本の特撮の未来について話を聞いた。
――今日はいろいろとゴジラや特撮のお話をうかがいたいのですが、まずはせっかくなので、デアゴスティーニから発売される『ゴジラVSキングギドラ』北海道原野の戦い(1991年)のジオラマセットについてお聞かせください。これは川北監督が監修されたんですよね。
ゴジラの生誕60周年の記念ということで、せっかくなので映画のワンシーンを再現したジオラマを作ってみようと。なかなかよくできてると思いますよ。ゴジラの皮膚もよく再現されているし、キングギドラの鱗も1枚ずつ丁寧に作られている。
――数あるシーンのなかで、なぜ北海道原野の対決シーンを選ばれたのでしょう?
光線の戦いもあるし、身体をぶつけ合う格闘戦もあるし、僕自身が気に入ってるシーンなんだよね。実は映画のタイトルバックにも使ってるんだ。
――映画館で私も観ました。ちょうど10歳の時です。
『VSキングギドラ』が10歳? イヤになっちゃうなあ(笑)。
――『VSキングギドラ』は特技監督として関わった2作目のゴジラ映画ですね。この作品は監督にとってどういう作品でしょうか?
エンターテインメントを強く意識した作品だった。前作の『ゴジラVSビオランテ』はちょっと暗い映画だったというのもあって、この映画では昭和の人気怪獣キングギドラは復活するわ、タイムマシーンは出てくるわ、ゴジラ誕生の秘密が明かされるわと、とにかくエンターテインメントを前面に押し出した。おかげで今でもこの作品はファンの間で人気が高いらしいね。
――実際、次作の『ゴジラVSモスラ』から観客動員数も増えましたし、『VSキングギドラ』は「平成のゴジラ」が一気に浸透していく契機になった作品でした。ただ、監督ご自身はどちらかというと怪獣よりもメカや兵器を撮る方が好きで、実はゴジラに対して当初はそこまで思い入れがなかったと聞きました。
昔から機械とかメカをいじるのが好きだったんだ。僕が子どもの頃に見てこの世界に入るきっかけになった『地球防衛軍』(1957年)でも、まず惹かれたのがマーカライトファープやα号といった超兵器だった。特技監督デビューも太平洋戦争のゼロ戦を描いた『大空のサムライ』(1976年)だったし、「川北に怪獣映画は合わないんじゃないか」なんて先輩に言われてた(笑)。
ただ、一番現場を経験したのは結局、ゴジラ映画だったんだよね。僕は『妖星ゴラス』(1962年)の時に初めて現場に入ったんだけど、そのあとすぐにキンゴジ(『キングコング対ゴジラ』)、モスゴジ(『モスラ対ゴジラ』)、三大怪獣(『三大怪獣 地球最大の決戦』)と、ゴジラ映画の黄金期を経験した。だからゴジラ映画が最も慣れ親しんだ作品、という部分はあったね。