――『夢と狂気の王国』公開から約半年経ちました。映画公開後の反響などはいかがでしたか?

この映画を好きだと言ってくださる人は、好きな部分を具体的に説明するというよりも、「なぜだか分からないけれど涙が出た」というような感想をいただけることが多いんです。

――この場面、というのではなくジブリ全体に漂う空気に何かを感じて涙したということでしょうか。

まさにそれは私自身がジブリで感動した部分なんですね。宮崎監督や鈴木さん、高畑監督の姿はもちろん、ジブリの人々が毎日同じ営みを何十年も繰り返してたくさんの作品が生まれてきたということ、スタジオジブリを囲む木々や自然、そういったものすべてをひっくるめて"そこに流れている空気"を伝えようと思ったんです。

――たしかに本作を見終わって心に残っているのは"ジブリの空気感"です。第三者的な距離感ではなく、自分がジブリの一員になったかのような近い距離感が印象的でした。

空気感を出すためにできるだけ計算をして撮影したのですが、とても大変な面もありました。スタジオにはたくさんのスタッフが入るわけにはいかなかったので、私ひとり、音声さんもいなかったんですね。ドキュメンタリーで音声がいないというのはものすごく苦しい状況なんです。そこで、撮影が終わった後、音声をクリアにするための作業を行いました。ところが、それをしたことで、逆に何かが足りない印象になってしまったんです。

――何が足りなくなってしまったのでしょう。

スタジオの雑音です。鉛筆の音、紙の音、電動消しゴムの音……できるだけセリフを際立たせる作業を行った結果、そうした音も消えてしまったのです。なくしてみて、ジブリの空気感を表すのに雑音がとても大事だったことに気づいて、それらを再び戻すことにしました。特に宮崎監督がいらっしゃる場所はPCのキーボードの音がしないので、紙や鉛筆の音がとても大切なんです。

――たしかに言われてみればその通りですね。宮崎監督の仕事場にはPCなどが見当たりませんでした。

宮崎監督はインターネットもご覧になりませんからね。とにかく、ジブリに入ってすぐ、ジブリ全体の空気感を伝えようという方針を固めたのです。宮崎監督だけを追いかけるのではなく、宮崎監督も含めたジブリ全体の存在を描こうという方向です。だから、ナレーションなどで多くを説明することもしませんでした。言葉で説明してしまうと、普遍的なものにするのが難しいと思ったんですね。むしろスタジオの音や、彼らがどう歩くのか、後ろ姿、会話の呼吸、そういったものを見せることに注力したのです。