――ちなみに監督は、映画を作る際、キャラクターについてはどのくらいまで掘り込んで設定しているのですか?

新海監督「映画の中の時間軸における設定はもちろんします。それこそ、服装だったり、性格だったり、住んでいる場所だったり。ただ、例えば小説の中ではユキノさんの生い立ちについて語られていますが、そこまでは設定しないです。そのあたりは漠然と頭の片隅で考えている程度ですね」

――ということは、映画を公開後に、小説の執筆の中で、最初の想定とは変わってくるキャラクターもいるわけですか?

新海監督「それもあったかもしれませんね……というか、実際にすべてのキャラクターが多かれ少なかれ変化していると思います。タカオやユキノといったメインのキャラクターはもちろん、特に映画の中の脇役については、映画ではほとんど触れていないこともあって、小説を書きながら、あらためて『こういう人だったんだ……』って思うこともありました(笑)。ただそれは、最初から無意識の内に考えていたことかもしれません。特に脇役の場合、映画だと一言二言しかセリフはないのですが、そのセリフを言うに至った経緯については、自分では無意識ながらも漠然とですが考えているように思うんですよ。小説を書くことで、ああなるほど、この人はこういう人だったから、映画ではこういうセリフを言わせたんだ、みたいな感覚を自分の中に感じたので、元になる部分は映画のときからちゃんとあったんだと思います」

――特に相澤の小説での扱いにはちょっとビックリしました

新海監督「『言の葉の庭』は短い映画ですが、語り足りていない部分は自分ではないと思っています。なので、自信を持って、あの尺で映画として公開したわけですが、強いて言うと、相澤さんを単純な悪役としてしか描けなかったのが、若干の心残りでした。当たり前ですけど、誰にでも事情があるわけで、公開後、お客さんが相澤のことを悪くいうのを聞くたびに、ちょっと申し訳ないと思う気持ちがあった。キャラクターにも申し訳ないし、お客さんにそうとしか思わせられなかったことも申し訳ない。でもその一方で、人が何らかの行動をするときには、その背後に何らかの事情がある……そういったところまで、映画を観たときに考えてほしいと思う気持ちもありました。特に若い観客は、Twitterなどで、あまり深く考えずに思ったことをそのまま書いたりすることもありますが、目の前にあるものだけをただ受け取るのではなく、その背景も感じ取ってほしいんですよ。ただそれは、映画でちょっと単純化しすぎた自分の責任でもありますので、今回ちゃんと小説で掘り下げることができて良かったと思っています」

――実際に相澤が嫌な人間のままでも大きな問題ではないと思いますが、そこをちゃんとフォローできるというのは小説化ならではの醍醐味ともいえますね

新海監督「中学生や高校生といった若い人にとって、たとえば自分のクラスに嫌なやつがいて、卒業するまでただキライなだけということってよくあることだと思うんですよ。僕自身もありましたし。でも、もしかしたらそれだけじゃないということを教えてくれるのは、それこそ漫画だったり、アニメだったり、小説だったりすることって、少なくないと思います。人生の教科書とまではいきませんが、先生とは違うモノの見方を教えてくれることができるのが、たぶん娯楽作品のひとつの役割だと思うので、若い人にとってそういう作品になればいいなという気持ちもありました。それは、自分が年を取ったことで生まれてきたおせっかい心みたいなものかもしれません」

――そういう意味では、映画よりも小説のほうが、監督のキャラクターに対する愛情が深く描かれているのかもしれません

新海監督「映画はあくまでタカオとユキノ、2人の視点だけで進むので、シンプルな気持ち良さ、一本の歌を聴くような感覚で46分をすっと観ることができると思うんですけど、それと同じことを小説でやっても面白くないじゃないですか。自分自身も楽しめないと思ったので、あくまでも同じ物語を書いているんだけど、別の方向から語り直すことによって、何か新しいものが見えてくるような執筆作業にしたいという気持ちがありました」

――映画のストーリーをそのまま小説にすると、単行本は五分の一くらいの分量になりそうですね

新海監督「そのボリュームだと単行本として出していいのかっていうレベルですよね。当初は、今のような形になるとは思ってもいなかったです。文章表現として、ある程度まとまったものができるだろうとは思っていましたが、それでも、前・中・後編、あるいは前・後編ぐらいの量だと思っていました。これだけ量が増えたのは、自分自身で発見した部分もありますが、観客に教えられた部分も多いと思います」

――予想外の大長編ですね

新海監督「そうなんですよ(笑)。映画を作り始めた時点からはまったくの想定外ですし、小説を書き始めてからも、次第に1話ごとの分量が増えていってしまいました」

――今あらためて映画を作ると、映画自体の長さも変わったりすると思いますか?

新海監督「技術的にいえば、いくらでもやりようはありますし、小説版を生かすならシリーズ的なものにすれば面白くなるんじゃないかという感覚はありますけど、ただ自分であらためて2時間映画として作り直したいかといえば、そういう気持ちはまったくないです。誰かほかの人がやってくれるなら観てみたいですけどね(笑)。僕としては、この小説を書かせていただいたことで、ようやく『言の葉の庭』のプロジェクトは終わった感じがしているので、次の作品に向かいたいと思っています」