ヒストリーゾーン「創業者の部屋」
東芝の歴史には2つの流れがある。「からくり儀右衛門」と呼ばれた田中久重氏(1790年-1881年)がおこした重電機製造の流れと、藤岡市助氏(1857年-1918年)による電球に始まるエレクトロニクス分野の流れだ。
創業者の部屋入口には、田中氏制作のからくり人形(複製)が鎮座し、その奥には嘉永4年(1851年)にロンドン開催の万国博覧会で披露されたという「万年時計」(複製)の姿が。明治8年(1875年)、田中氏は東京の銀座8丁目に新しい工場兼店舗を構え、店のかたわらには「万般の機械考案の依頼に応ず」との看板を掲げる。ここに、東芝が創業された。
もう1つの流れは、藤岡市助氏によるものだ。明治17年(1884年)、アメリカにてトーマス・エジソンの実験室を訪ねた折り、「どんなに電力が豊富でも、電気器具を輸入するようでは国は滅びる。まず電気器具の製造から手がけ、日本を自給自足の国にしなさい」と、エジソンから助言を受けたという。
藤岡氏は明治23年に「白熱舎」を創設し、本格的な電球製造に着手する。明治38年(1905年)には、エジソンの会社、米ゼネラルエレクトリック社と提携し、明治44年(1911年)にタングステン電球「マツダランプ」を発売した。そして昭和14年(1939年)、田中氏がおこした会社の流れをくむ「芝浦製作所」と合併し、「東京芝浦電気」が誕生した。1984年、東芝へと社名変更し、現在にいたる。
話を戻そう。
東芝未来科学館の「創業者の部屋」では、エジソン直筆の手紙や、エジソンが1889年まで9年間にわたって「エジソン電球」に使用した竹ひごフィラメント(レプリカ)など、ゆかりの品を見られる。この竹ひごフィラメントは、京都・石清水八幡宮の竹だ。
電球について振り返ってみると、真空電球の実用化としては1879年(明治12)、英国のスワンと米国のエジソンがほぼ同時期に炭素電球を完成させた。エジソンは、木綿糸に「すす」を塗って蒸し焼きにしたフィラメントで、炭素電球の点灯に成功。さらに長寿命のフィラメント材料として、京都石清水八幡宮の竹に着目する。この竹を炭化して長時間の点灯に成功した。世界各地から7,600種類もの材料を収集し、竹の植物繊維が優れていることを発見したという。