一瞬のチャンスが一転して大ピンチに
夕食休憩明け、ツツカナが指した▲4四金。この手に森下九段は「驚いた」と言う。この「驚いた」は、良い手を指されて驚いたという意味ではない。その逆に森下九段にとって「ありがたい手」だったため驚いたのだ。
▲4四金はなぜ森下九段にとって「ありがたい手」だったのか。4四の地点に駒を打ち込んでいく攻めは、先手の狙い筋であり、その意味では自然な手。ただ、この時点では時期尚早だったのだ。局面は中盤と終盤の境目といった状況なのだが、▲4四金はいきなり終盤に持ち込もうとする強引な手で、むしろ相手に金という質駒を与えてしまったデメリットのほうが大きいのである。
「▲4四金はありがたかった。それまで少しいいか、少なくとも悪くはないと思っていたわけですが、なかなか決め手が見つからなかった。そこに▲4四金が来たので、ああこれなら良くできるだろうと、そう思ってしまったんですね。ところが、それで気が緩んでしまったのか、直後に指した△8五桂が大悪手でした」(森下九段)
森下九段は△8五桂には▲8八銀と引くしかないと読んでいた。そこで△7五歩と突いて歩の入手を図れば、好調に攻めが続くと見ていたのだ。そして本譜の▲8六銀には△5九角と打つ手が厳しいので、先手は銀を上がれないと読んでいたのである。
ところが▲8六銀と上がられてみると、△5九角には▲8五銀△同飛▲5八金と強く対応されて困ることに気がついたという。やむなく端に桂を成り捨てて攻め続けたものの、先手に桂を渡したために、自陣がいっぺんに危なくなってしまう。
▲4四金を打った時点では、ツツカナが時期尚早な攻めに出たことでピンチに陥ったのだが、△8五桂~△9七桂成と攻めたことで、劇的なまでに立場が入れ替わってしまったのだ。
では△8五桂に代えて何を指せば良かったのか。森下九段によれば「△7五歩としていればリードを保てていたのではないか」ということだ。
△9七桂成と成り捨てたのが90手目。ここまで、ずっと互角に近い推移を続けていたツツカナの評価値がぐんぐんと上がりだした。
91手目 +349
97手目 +592
105手目 +1124
ついに逆転が難しいと言われる1000点のラインを突破する。いつのまにかツツカナの駒台には多くの駒が載っていた。相手の攻めを冷静に受け止めて力をためた結果だ。
「まるで、ツツカナの方が森下九段のようだ」
控室の誰かがそう言ったとき、ツツカナが蓄えた力を爆発させて大熱戦に終止符が打たれた。
コンピュータはプロの将棋を変えるか
終局直後、ニコニコ生放送では「名局だ」、「名勝負だった」というコメントが多く見られた。その時点では、両者の指し手の詳しい意味が分かっていなかったにも関わらずだ。たぶん、リアルタイムで観戦していた人たちは何かを自然と感じ取っていたのだろう。
控室では、終盤ツツカナが森下九段のような指し回しを見せたことで、森下九段がお株を奪われる形で敗れたのではないか、と見る向きもあった。だが、それはおそらく違う。森下九段とツツカナの将棋は見事に噛み合っていた――、その結果として素晴らしい棋譜が生み出されたのではないだろうか。名勝負は決してひとりでは生み出せない。好敵手がいて初めて生まれるのだから。
「電王戦は久しぶりに燃えました。将棋の情熱を取り戻せた気がします」
終局後に森下九段が力強く語った言葉だ。その3日後の火曜日、東京の将棋会館で公式戦を戦う森下九段の姿があった。トッププロを相手に、いかにも森下九段らしい将棋で快勝していた。
同日、第1局の対局者、菅井竜也五段も東京で公式戦を戦っていた。そこで彼が見せた作戦は、なんと第3局でYSSが指した横歩取りの△6二玉を改良した構想であった。さらにその2日後の木曜日、今度は第3局に快勝した豊島将之七段が、さらに別バージョンの△6二玉を採用していた。
プロ棋士は本当に純粋な人間だ。彼らが望むことはただひとつ「もっともっと将棋が強くなりたい」、ただそれだけなのだろう。コンピュータが良い手を指せば、彼らは迷わずそれを吸収する。敗北すら自らのエネルギーに変えて戦っていく。コンピュータが強くなるほどに、プロ棋士もまた強くなって、我々を一層楽しませてくれるに違いない。
将棋電王戦FINAL 観戦記 | |
第1局 | 斎藤慎太郎五段 対 Apery - 反撃の狼煙とAperyの誤算 |
第2局 | 永瀬拓矢六段 対 Selene - 努力の矛先、永瀬六段の才知 |
第3局 | 稲葉陽七段 対 やねうら王 - 入玉も届かず、対ソフト戦の心理 |
第4局 | 村山慈明七段 対 ponanza - 定跡とは何か、ponanzaが示した可能性 |