プロなら絶対に反発する手
ツツカナは▲1六歩に続いて▲1五歩と連続で端歩を突いた。これは若干作戦の幅を狭くした程度で形勢にほとんど影響はない。問題はその後、35手目に▲4六銀と出た手にあった。
行方八段:これは……。次に▲3七桂と跳ねられれば理想的ですけど、図々しい手ですよね。
藤井九段:端を突き越した上に▲4六銀と出るのは相当図々しい。プロなら「ふざけんなよ!」と、絶対△4五歩と反発しますね。
簡単に言うとツツカナの指した▲4六銀は、本来両立しえないはずのふたつの理想的な駒組みを、同時に実現しようとした手だ。おいしいものをおなか一杯食べながら、痩せようとしているようなものなのである。
ただし、これで後手が大優勢というわけではない。例えば▲4六銀と出た局面から先手をプロ棋士が、後手をアマチュアが持って指せば、まず先手のプロ棋士が勝つだろう。プロ同士なら、7割ぐらいは後手が勝つかもしれない。そのぐらいの微差なのである。
だが、矢倉の専門家である森下九段には十分過ぎる差だった。ここからの進行は、森下九段が30年の棋士人生で練り上げて来た矢倉の真髄が発揮されるのである。
矢倉伝道師の面目躍如の一手
対局は図の局面で森下九段の手番で昼食休憩に入った。
控室や解説会場で予想されていたのは△5六銀、△7三桂、△8六歩、△4六歩などだったが、後の進行は難しく、形勢の優劣は分からないとされていた。前図の▲4六銀は成立しない図々しい手、という認識はあっても、その後の具体的な戦い方の知識までは、ほとんどのプロは持っていなかったのである。
しかし、森下九段はただ一人この局面まで想定していた。以下は終局後の記者会見で森下九段が語った内容である。
「▲4五歩と位の歩を取られて一歩損で、通常では後手がかなり損だと思われがちな格好なんですけども、△4六歩と垂らす手が発見されて後手のほうがいけるのではないかと言われているんですね」(森下九段)
昼食休憩明けに指されたのは△4六歩。森下九段にとってこの手は、研究済みで定跡も同然だったのだ。矢倉の森下、面目躍如の一手である。