富野監督:今、日本のアニメの制作現場において、物語があるのか、という問題がある。今の時代に流行するもの「しか」ないのではないか、と年上目線で見た場合に感じるわけです。今、みなさんが見ているようなアニメ作品が30年前、40年前にあったかというとほとんどないんです。もう少し一般的に見られたものがアニメを見て育ってきた人向けのものになっていって、アニメ制作者自身がマーケットを狭くしていっている。どうして深夜アニメというものが、時間帯として容認されているのか? これは正常ではない。
この論に関しては頷ける面とそうでない面、両方がある。深夜帯というマーケットの狭さは事実だが、日本各地方の地上波放送におけるアニメが壊滅状態であることや、録画や例えばバンダイチャンネルといったwebメディアを介することで大人から子供への「アニメの伝達」も可能だし、情報としてこういうアニメがある、ということを若者が知る手段も豊富にあるからだ。内容に関してもちゃんと子供に通用する作品はあると、今は言うことができるだろう。
ただし、富野監督の語る作品論は心に刻んでおくべきである。
富野監督:アニメとはもっと映画に寄り添ったものなのだから、映画的な物語をきちんと構築するところにいけばいいんだよというのが年寄の意見です。ですが、今のハリウッドの大作映画の多くがコミック原作なんですね。それが大作、出来のいい映画だという風に信じられているのは一体これは何なんだと。これは何かというと、柔らかい言葉で言っておくと「時代の偏り」だとしておきます。アニメというものはみんなで見て楽しいもの、喜べるものであっていいんじゃないのか。ただし楽しいものだけじゃなく、悲劇も、絶望的なものでもかまわない。
富野監督:ですが、作品とは作品としての様式、スタイルなり、矜持がなくてはなりません。ただ作り手たちがこういう作品を作りたい、というだけで公表されるものが作品とは思えないんです。作品とは公表してなんぼのものであるし、公表できるように作るべきであると思う。ところがこの一番品格を求められる部分を、我々年寄が若い人に伝えずにきた30年50年ではなかったか? つまり『グレンダイザー』のどこが立派な作品か、あ、言ってしまいましたね。カッコ笑い、を3つ。(場内爆笑)永井豪さんも知り合いですので、今言ったのは全部……です(笑)。
この富野監督の発言については「志はあるか?」ということなのだと思います。あとこれだけは言っておきたい。『グレンダイザー』は立派な作品ですよ! デューク・フリードを怒らせるとキレたカミーユより恐いんですから! 敵がかわいそうになるロボットアニメの元祖といってもいい。
富野監督:アニメやコミックというものを切り取っていくと、価値基準というものが設定されています。それが30年前40年前と今を比べた場合、低いのか高いのか? これは危険ないい方なのですが、低いかもしれない。もっと高みを目指すべきではないか? 俗にいう興行の世界でいえば柳の下にどじょうは2匹ではなく5匹ぐらいいるという、興行師はそれでいいんです。作り手はそれでいいのかというのは考えるべきではないのか。TVアニメができて50年経って、みんながTVアニメというものを不思議に思わなくなっちゃったんです。それによる堕落というものが起こっている。慣れ仕事になってしまった時につまらなくなっていることに気が付いていないんじゃないかということです。
こういう話になると、では『ガンダム Gのレコンギスタ』にはどんな志があるのか、と気になりますね。いよいよ『Gのレコンギスタ』に触れていきます。