――『ミラーマン』はやはり子ども向けの作品になるわけですが、そのことに対しての感想などはありましたか?
石田「当時、ちょうど大映が下火になっていて、スタッフの方々はプロデューサーが連れてきた旧大映の方々だったというのもあったのですが、役者もスタッフも『ミラーマン』という作品を、子ども番組という認識では作っていなかったですね。当時はテレビ映画という言い方をしていましたが、みんな普通の映画を撮るような感覚でやっていたと思います」
――『ミラーマン』は第1話を本多猪四郎監督が撮っていらっしゃるなど、かなり豪華なスタッフが集まっています
石田「最初に本多監督にお会いしたときは感動しました。本多監督の映画をたくさん観ていたこともあって、本当に憧れの監督さんでしたから。すごくお優しい方で、『石田君ね、自分の好きなようにお芝居しなさい。それであなたの良さが出ればいいんだから』という風におっしゃっていただいて、細かいことは一切言わない。でも、映像を見るとやはり全然ちがいますよね。ほかの監督さんがかなりハードな作りだったのに対して、何とも柔らかい感じになっている」
――実際に鏡京太郎を演じてみて、難しいと思ったところはありましたか?
石田「当時は必死で、とにかく食らいついていくしかなかったので、難しいなんて考える以前の状態でした(笑)」
――とにかくやるしかないと
石田「そうですね。芝居のつけ方も監督さんによって全然違ってくるので、本当に大変でした」
――ちなみに撮影当時を振り返って、印象に残っているエピソードなどはありますか?
石田「やはり、モーターボートを2台潰したときですね。その沈んでいく様を、大映の『ガードマン』などをやっていらっしゃった設楽さんという制作主任の方が黙って見ていて、撮影が中止になったときに、『みんな、今日は宴会をやってくれ』っておっしゃったんですよ。こんなときに宴会なんかやってもいいのかななんて思いながら、ちょっと部屋を覗いてみたら、設楽さんが黙って一人で考え込んでいる。みんなの前では笑って、『気にするな、気にするな。大丈夫、大丈夫』って言いながら、おそらく一人になって対応策を考えていたんでしょうね。もう声なんか掛けられなかったです」
――それは厳しいですね
石田「後日ご本人に話を聞いたら、『ああいうときこそ、制作部は俳優に嫌な顔を見せてはいけない』ということで、宴会をやらせて、平気なフリをなさっていたんですね。でも賠償するのに相当のお金が必要だったはずですよ」
――ちなみにどうしてその事故は起こったのですか?
石田「運転していた人が車の感覚でモーターボートを操縦しちゃったんですよ。エンジンを止めずにハンドルを切ったので、そのまま流れてしまって、キャメラの載っている母船の前にあった、救助用の船にぶつかっちゃったんですよ」
――それで撮影は中止になったわけですね
石田「沈没したのはクルーザーだったかな。で、モーターボートは半壊。それは大変な事故でした」