――ニホンザルは日本人にとってはなじみの深い動物ですよね。
福山「知っている人に会ったみたいな(笑)。顔も日本人みたいでしょ(笑)? 海外のサルだと驚きがあるんですが、あまり知っている動物を見るのもどうなのかなって初めは思っていたんですよ。でも、この番組で紹介するのは動物たちの"生態"であって、オオサンショウウオが日本にいるのは誰もが知っているけど、どんな生態なのかは調べない。それがまさに自然と人間の関係を如実に表していると思うんです。"そこにいてあたり前"だと思っているからそんなに大事にしていなかったような気がするんです。極端なことを言うと、自分の家族のことをあまり知らない。でも、新しくできた友達や恋人のことは、根掘り葉掘り調べる(笑)。人間って、近くにいる人やモノのことは、あまり大事にしなかったり興味を持たなかったりするんだなって、今回の旅を通してあらためて思いました」
――最終回はメッセージ性の強いエンディングになったと思います。
福山「ブラジルのセラードを訪れた時に、僕らが移動している道路でオオアリクイが車にはねられて、僕は死んだオオアリクイしか見ることができなくて、それがいろんな現実や現状を象徴しているなってすごく思ったんです。1990年代以降、環境破壊は人間の経済活動によって引き起こされているという大まかなロジックで物事が進んできてしまった。環境に対して意識を持つこと自体が利用されているような、パラドックスというか、そういう状態を生んでしまっている。そんな中で、我々がやっているこの番組は、ありのままを切り取って、ありのまま感じたことを表現していくことだけなんです。決してこれはダメですよとか、これをしましょうとか言っているつもりはないんですよね。ただ、それが結果的にメッセージとして感じていただけたなら、悪いことではないと思います」
――今後の音楽活動にフィードバックできる体験はありましたか?
福山「旅の風景より、"生命(いのち)"ですかね。最近、歳も歳なので、そういうテーマをますます考えるようになってきました(笑)。生命の誕生の不思議さだったり、たくましさと同時にはかなさだったりをとても感じました。親がいて、その親が恋愛をして、当たり前に生まれてきたようなつもりでいるものですけど、生まれてきたことはすごい確率で、誰もがちっちゃな奇跡で生まれてきたんだなっていうことをしみじみと感じます。世界の生き物たちの生態を見ても、環境に合わせてどんどん適応して生きているんです。でも、本来育まれなきゃいけない生命が順応できないレベルの環境変化を人間が引き起こしてしまっている状況とか……。生命にまつわるさまざまな状況を感じながら、これから1曲、2曲と作品になっていくんだろうなと思います」……続きを読む。