コーヒーハンターという職業
コーヒー豆の品種といえばアラビカとロブスタ。確かに間違いではないが、そもそもアラビカは「種(しゅ)」であるのに対し、ロブスタはカネフォラという種の中の1つの種類である、といったこと知っている人は非常に少ないように思う。またひと口にアラビカ種といっても、突然変異で生まれた種や人工的な交配で生まれた種など、実に様々なコーヒーの品種がある。
2007年に、100gが7,350円という価格でUCC上島珈琲より発売された「ブルボン・ポワントゥ」。その後毎年発売されている(写真は2010年発売のパッケージで、その際の価格は8,000円 / 100g)。 |
中には絶滅してしまったものもあるだろうし、私たちがまだ知らないだけで、森の奥深くでひっそりと育っている品種もあることだろう。そういったまだ多くの人の目に触れていない品種を見出し、世の中に紹介する仕事がある。「コーヒーハンター」である。
2007年4月、100g7,350円という非常に高価なコーヒー豆がUCC上島珈琲から発売となった。その名は「ブルボン・ポワントゥ」。当初、その価格ばかりに注目が集まったが、文豪バルザックやルイ15世らが愛飲したとされるコーヒーであること、19世紀後半にはその生産が途絶えていた幻のコーヒーであることなどから話題を呼び、あっという間に完売してしまった。フランス領ブルボン島(現レユニオン島)産のこのコーヒーを復活させたのが、コーヒーハンターの川島良彰さんである。
高校卒業後、単身エルサルバドルへ
川島さんは1956年、静岡の珈琲焙煎卸業を営む家の長男として生まれた。「当時のコーヒー屋の息子といえば、大学を卒業してコーヒー屋で修行をし、ブラジルに留学をしてカップテイスターになるのがエリートコースでしたね」と川島さん。しかし、自身はというと当初からカップテイスターになるつもりは全くなかったという。「中南米の国で栽培の勉強をし、ヨーロッパでマーケティングを学んだあとに家業を継ごうと思っていた」という川島さんは、高校卒業後にエルサルバドルへ。無理やり入所させてもらった国立コーヒー研究所で品種改良や栽培に関する研究に没頭した。そして、農学博士の作った2年間のマンツーマンカリキュラムが終わり、日本に帰国した。
その際、「父への土産に」と生豆を麻袋で2袋持ち帰った。「その豆を焙煎して試飲した父が、『こんなにおいしいコーヒーには今まで出会ったことがない』といたく感動しました。これを機に、まだ知られていないおいしい豆を広めるような仕事をしたいと考えるようになりました」。
再びエルサルバドルに渡ったのは1年後。研究所に戻って、コーヒーの木にとって大敵であるさび病の研究を始めた。しかし、左翼ゲリラと国軍の戦闘は激化し、国内情勢は悪化するばかり。一旦疎開を、とロサンゼルスに行くことになるのだが、ここで運命的な出会いが待っていた。
UCC創業者との出会い
UCC上島珈琲の創業者で当時会長の上島忠雄さんが川島さんを訪ねてきたのだ。目的は、ジャマイカでのブルーマウンテン栽培技術者としてオファーするためだった。「エルサルバドルへの未練はありましたが政情はあいかわらずで、ジャマイカへ渡る決意をしました」。
現地法人の立ち上げ、農園経営、栽培の技術指導、豆の買い付け。全てが川島さんの仕事となった。25歳のときである。3,4年かけたプロジェクトは安定期に入り、当時はブルーマウンテン生産量の半分近くをUCCが買い付けていたというから驚きだ。プロジェクトを成功させた川島さんは、ここからさらに数々の産地を渡り歩くこととなる。ハワイではコナコーヒーを、インドネシアではマンデリンの栽培にたずさわった。そして運命の地・レユニオン島へと渡る。