さて、皆既日食で、あるいは今後観光で悪石島を訪れるとしたら、島にはどんな見所があるだろうか。この島の風物としてまず知られているのは「ボゼ」である。ボゼとは盆踊りの最後に登場して女性や子どもを追いかけ回す仮面神で、悪魔祓いの主役だ。南洋文化の影響を色濃く受けたボゼ祭りの時期には、日ごろ観光客がほとんどやってこないこの島も多くの島外の人たちでにぎわう。

悪石島といえば仮面神ボゼが思い浮かぶという人は意外に多い。港の岸壁にもこのようなイラストが描かれている。ボゼの風貌は、もっと南のミクロネシアやニューギニアあたりの文化をほうふつとさせはしまいか

ボゼを除くと、とくに注目すべきスポットはないかもしれない。海に囲まれているといっても海水浴ができるビーチはない。もちろん手つかずの自然のおかげで、釣りは大物が狙えるし、ダイビングはプロダイバーが感動するほどのすばらしい透明度を楽しめる(ただしダイビングショップのようなものはない)。まあそれくらいだろうか。この島の最大の魅力は、おそらく"何もない"ことなのである。

ただし、温泉がある。整備された施設のようなものまではないが、その分、素朴な秘境の湯を楽しめることだろう。悪石島を訪れた際にはぜひともチャレンジしていただきたい。

港からそう遠くない岩だらけの海岸には、野趣あふれる(あふれすぎているか)海中温泉が湧き出している。源泉は少々熱いため、潮が満ちた際に海水が流れ込んでちょうどよい温度になる……というが、この日は海が荒れていたので入れる状態ではなかった

海中温泉の近くには、内風呂と絶景の露天風呂を備えた湯泊温泉もある。内風呂がある建物の中にはゆったり寝転べる座敷も用意されているが、売店や自動販売機などは一切ない。近くには砂蒸し風呂も

ある島民は言った。「少し前にテレビや新聞の取材の人がたくさんきて、一時的に賑わいましたが、いまは普段と変わらないですよ。"皆既日食Tシャツ"を着た島民が何人かいるぐらいです(笑)」。本番まで残り3週間。仮設トイレの搬入はすでに済み、水の準備なども静かに進行中だ。

日本の陸地で皆既日食を観測できるのは1963年以来46年ぶりのこと。次に見られるのは26年後である。十島村によるトカラのキャッチフレーズは「刻(とき)を忘れさせる島」。皆既日食で訪れる人も、"何もない"島で時間から解放される体験を満喫してみてはどうだろうか。

昭和19年、沖縄から本土への集団疎開中に米軍により攻撃され、悪石島から10kmほど沖の海に沈んだ対馬丸の慰霊碑が建つ。慰霊碑は悪石島小中学校の子どもたちがきれいに掃除している