薬師寺の歴史やお写経について、理解を深めた後、いよいよお写経をすることになった。

まずは道場に入る前に、丁子(ちょうじ=香辛料のクローブ)を口に含んでから深呼吸をすると、口の中がスースーする感じになった。これで、呼吸を通して体内を清めたことになるのだそうだ。丁子は漢方薬にも使われているものなので、食べても害はないそう。そして、お坊さんが着ける袈裟の簡略形の輪袈裟(わげさ)を首に掛け、お薬師さまが安置されている道場に入る。入ると、すぐ赤い毛氈(もうせん)が敷かれており、上に置かれた象を形どった香炉をまたぐ。これで、外から身体を清めるのだ。そうして、筆などお写経の準備がされている机に向かう。人によっては、先にご本尊に参拝するということもしていた。

器の中に小さなサイズの丁子が入っている

象を形どった香炉をまたぐ。ちょっと不思議な気分だ

体験した日は平日の昼間だったのだが、すでにお写経している方がいた。私は適当に、空いている机の前のイスに座る。写経の際は正座かと思っていたので、正座ではなくイスなのでよかった。まずは、硯に水を入れ、墨を作るのだが、ついドバドバと入れ過ぎてしまった。水を捨てに行きたかったが、捨てるような場所がなかったので、そのまま墨をすることにした。水が多いので、墨を濃くするには時間がかかってしまった。お手本の般若心経の上に、お部屋に入る際にいただいた和紙とお手本をずれないように重ね、文鎮を置く。白鳳や天平時代のお写経は、経本を横に置いて写していたらしいが、それだと字が曲がったり間隔を上手にとるのが難しいので、今ではお手本用紙を下に敷いて写しながら書くというやり方になっている。筆を使うのが難しい子どもなどの場合は鉛筆(墨なので、後ほど消える心配がない)でもよいという。本当に誰でも気軽にお写経できるようになっていることに感心した。

これがお写経の道具一式。硯や筆は貸していただける

お手本の上に和紙を重ねる。透けて見えるのがわかるだろうか

お手本はこのような漢字のみの般若心経とひらがなと漢字で書かれた「般若心経のこころ」がある。どちらを写経してもよい

ここで、写経を始める際の写経観念文(写経をする際の心得)を唱えて、さぁ、いよいよ筆に墨をつけて写し始める。習字は習ったことがあるのだが、何年かぶりに筆を使うのでドキドキする。だが、肝心な1文字目は墨をつけすぎてにじんでしまった。少しがっかり。それに、まだ筆さばきがぎこちなく、墨もまだ薄い気がして、もっと墨をすってみる。気を取り直して、再び写し始めると、今までの人生で書いたことのない文字が出てきた。「えっ、この文字はどう書くの? なんていう文字? 」とふと不安になり、机の横に置いてある般若心経の本を見て漢字を確認する。菩薩の「薩」の右側の「産」をちゃんと書くと上は「文」になるのかな? と確認しながらひたすら写していく。

写経観念文(写経をする際の心得)を唱える。肩にかけているのは輪袈裟(わげさ)

書き始めると自然と集中していく

3行ぐらい写せたら、だんだん調子が出てきて楽しくなってくる。初めと違ってスピードもアップし、筆使いも慣れてきた。しかし、どんどん書き進めていっても、硯の墨の量は減らない。少しだけ、墨を作ればよかったとはげしく後悔しながら、ちっとも「無」の境地にはなれずに書き進める。それにしても静かだ。一番前の席に座ったので、後ろは見えないが、次から次へとお写経の部屋に人が入って来ている気配はするものの、物音がほとんどしない。「この静けさの中でお腹が鳴ったらはずかしいな」とか「お腹が鳴らないようにお腹に力を入れないようにしなきゃ」とか、また余計なことを考えながら書き進める。またもや、「無」にはなっていないのだが、この静けさの中でお写経をすると、背筋が伸びる思いがして気持ちがいい。中盤を過ぎたころに若干飽きがきてしまったものの、あっと言う間に終りに近づいてきて、「なんだかもう終わっちゃう。もうちょっと書きたいな」という気持ちになってきた。