自分の生きた証を写しとる等身大カメラ
広角単焦点レンズは、自分から被写体へアプローチをしなくては良い写真は撮れない。広角28mmの単焦点レンズという制限がつくと、28mmの魅力を引き出すだけ自分の力量がないことを改めて思い知らされた(苦笑)。つまり、GRは撮影者に媚びず、むしろ撮影者がカメラにあわせて腕を磨き続けなくてはいけないカメラなのだ。普段、「広角側の方が面白いから好き」なんて言っているのだけど、GR2を使った初日は、「まだまだ広角の世界は奥が深くて修行不足だ」と逃げ出したくなってしまった。
しかしそれでも毎日持ち歩いていると、GR2の面白さがわかってきて、自分なりに試行錯誤しながら、等身大で撮っていけば、きちんと応えてくれるカメラだと感じるようになった。つまり、頭でっかちに考えないで、素直に被写体に近づいたり、感じた通りに設定を選んだりして、自分のGRでの撮影スタイルを育てていくのだ。
GR2は初代GRから進化している。「水準器機能」や「1:1アスペクト比モード」は、撮影する楽しみを増やしてくれたと思う。また、低ノイズ化は感度が上げやすくなったので、とても嬉しい。しかし、高画素化はGRに必要だったのか? と疑問がないわけではない。解像度的には800万画素クラスでも困らないし、初代GRと同じ813万画素のまま低ノイズ化を進めてもらったほうが、もっとノイズは少なくなったのではないだろうか?
最近、いろいろなカメラに触る機会が多いが、自分の感性や技術より、カメラの性能で写真が撮れてしまう感じがしていた。カメラ任せでシャッターボタンを押すだけでキレイな絵が撮れるので、撮影者はシャッターを押す機械だ。しかし、カメラと相談しながらシャッターを切るGRは、「触って」「撮って」「見て」と全ての段階で楽しめる。だから、カメラだけでなく被写体や撮った写真にも愛着が持てるのだと思う。GRというカメラは、スペックや機能より、感覚や精神面を重視したカメラなのだと思う。撮影していると等身大の自分を写している感覚になる。進化したGR2は、より自分自身を映し出す鏡の精度が上がった。つまり、より写真の楽しさを見つけられる可能性が広がったということなのだと思う。
朝の窓辺の光で撮影。花の色と質感が忠実に再現され、GRらしい絵が撮れた |
葉ボタンを白飛びギリギリまでプラス補正で撮影。レンズ先端から約1.5cmまで近づけるのはGRの魅力のひとつ |
1000万画素オーバーのコンパクト機はエッジがきつくなる傾向やザラつきが気になるが、これは自然な仕上がりになった |
ISO800で撮影するとカラーノイズや画像のアレが目立つ |
陽の当たった壁面は白飛びを起こしているが、影が強調されて悪くいないと思う |
アイポイントを下げると水平が取りにくいので、水準器機能は役に立った |
逆光の噴水を-2EV補正で撮影。フレアやゴーストも発生せず、シャープな絵が撮れた |
広角28mmを活かして空のグラデーションを撮影。シャドウ部も黒潰れすることなく、階調が残っている |
街の中に観覧車があるのが不思議 |
被写界深度を浅くして、ホオズキの枯れた感じを強調した |
撮影・レポート:加藤真貴子(WINDY Co.)