在日をとりまく過酷な現実と時代の変遷
1944年。第二次世界大戦の戦火の中、済州島(チェジュド)からグアム南西のヤップ島へと逃避行を続け、とにかく生き延びようとする主人公の父親の姿と、1974年の東京を舞台に困難に立ち向かいながら生きようとする主人公たちの姿が、本作では交互に描かれる。前作の青春映画的な明るい側面だけでなく、今作では在日の直面するシビアな現実も同時に観客に突きつける。その落差に関して、井筒監督はこう語る。
「前作は1968年という時代の状況を描いた青春映画やったけど、今度は在日の歴史をきちんと描きたかった。在日2世がいるってことは、在日1世がいるわけだから。1作目と2作目では、たった6年しか間はないけど、主人公たちが成長して年を取ったってだけじゃなく、日本の空気が明らかに違うんです。今から振り返ると、明らかにこの時期に、日本が大きく変わった。これは今の文化、社会を語るには1,000回吟味しても、し足りないくらい大切な事なんだけどね……」
井筒監督は、具体的にはどう時代が変わったと認識しているのだろうか。
「簡単に言うと、"現代"の始まり。あらゆる事に、シラけてくるんですよ。それまでは熱く社会や他人の事を考えていた人々が、何事もなかったかのように、個人主義を謳歌し始めた。とにかく隣よりも自分。自分が一番大切。見栄や虚栄が台頭してきた時代の幕開けがこの時期です。文化も社会と関わりのあることから、個人の愛だとか恋だとかに関連した物が増えてきた。そういう時代の始まりです。井上陽水さんの『傘がない』という歌なんかは端的にその世情を表現してました。世の中では色々な事が起きてるけど、自分は彼女に会いに行くために傘が必要だ、っていう……。象徴的だよね。社会の事よりも、個人の事が大事。そういう時代の空気感の変化が2作の間にはあります」
日本人へ向けた監督の願いと、作品への批判
みんなで楽しく熱く騒いでいた1960年代と、その熱がしぼみ、社会的に荒野化していく現代の始まりである1970年代。そこで、頼る人もなく孤立化していく在日の一家。その空気感の違いが、『パッチギ!』の2作では確かに感じられる。だが、その中にも、藤井隆演じる佐藤のように、在日である主人公たちを親身になって助ける日本人が登場する。監督はこの日本人に何を託したのだろうか?
「前作の主人公である高校生の松山君も、今回の国鉄職員・佐藤もそうやけど、願望というか、願いというか、僕らも一人の日本人として、『こうありたいなあ」』と思う姿ですね。少しでも在日と呼ばれる彼らの歴史や立場、気持ちを理解する。全部は無理でも理解する努力をする。そうすれば、1作目の歌にもあったイムジン川を、いつか越えられるんじゃないかなと。今回も在日の彼らの前には、絶望的に深い河が横たわっていて、それをどうアンソンやキョンジャが越えていくのか。2作目ではそれをやりきったね」
こうした監督の熱い思いとは無関係に、本作には様々な批判があった。
「日本人の僕が作って、日本の当時の社会状況を描いているのに、『反日映画だ!!」とか言うわけですよ。これは本当にこの国のオカシイところ。いびつさというか、奇妙さを感じましたね。韓国でもこの件については沢山質問されましたしね。『批判されて身の危険は感じたか?」とか。もう命の危険こそありませんが、バッシングされて想像できないほどのストレスですよ。肩こっちゃって笑)。でも、そういう批判も、インターネットでの攻撃も、全部受けて立ってやろうと』
批判厳しい意見もあったが、在日や戦争の問題を考えるという事に関して、意義深い映画である事だけは間違いないと井筒監督は語る。
「知らない事は罪深いことなんです。在日の歴史的背景を知らないで、『韓国料理美味いなあ」とか『韓国に女を買いに行こう」とか、罪深いことですよ。でも『パッチギ!』を観てもらえば、歴史や在日の問題を考えるきっかけにはなる。そのためにも、僕はこれからも、在日問題に限らずマイノリティの立場で、世間に対して映画を作って行きたいですね」