──販売開始後はどうだったのでしょうか?
福田氏:いきなりFAXでぽんぽん注文がきて驚きましたが、当初は月数十台のペースでした。発売して2~3カ月したときに誰もが知っている世界有数のメーカーから19万7000円の競合製品が発売されて、「これでもう終わりだ」と定例ミーティングでも話題になっていたのですが、むしろ、そこから一気に伸びていったのを覚えています。プレイヤーが増えてマーケットが活発化したのか、夏場くらいには生産が追いつかず即納ができなくなっていました。
福井氏:その頃から「ヤマハの製品だけでネットワーク組めないの」「センター側のルータを作ってください」という要望が出てきました。それで商品レンジをもっと広げましょうという話はよくヤマハに報告していました。たとえば、ポートの数を増やすことやPRIボート対応、フレームリレーへの対応、ほかにも、1つの筐体でモジュールが差し替えられるモデルをつくってほしいとか、いろいろ提案していました。
福田氏:営業サイドからみると、モデルを増やすことが売り上げアップにつながる面もありますから。SIerやお客様もおもしろがって「自分はこう思う」という話をよくしていました。社内でも何が売れるのか意見をぶつけてかなり熱い議論をしていました。一緒につくりあげていったという意識が強かったのだと思います。
──ユーザーとベンダーが同じ目線で話をしていたのですね
福井氏:今でもネットワークの仕事をしていて感じますが、お客様から教えてもらうことはすごく多いですよ。やはりものをよく知っているのはお客様でご自分の課題を解決するために、よく勉強されていますし、お客様それぞれに、異なる課題をもっていらっしゃるので、お客様に会えば会うほど、新しいニーズや課題が浮き上がってきます。RT100iのメーリングリスト「rt100i-users」も賑わっていましたね。メーリングリストに入れば、いろんな情報が入ってきます。住商側でもみんな入っていました。
福田氏:そうですね。競合も見るなかでよくああいうものを作って運営したのかと感心しましたね。
──その後、ターニングポイントはありましたか?
福田氏:プロダクトでいうと、「RTA50i」の頃でしょう。あのあたりから「ヤマハらしく」なりました。
福井氏:当時、ルータが花盛りで、いろいろなモデルが登場していました。価格競争に入っていて、儲からなくなるという営業的な懸念も感じ始めていたのですが、RTA50iがでてきて「これは面白い」となりました。実際、ものすごく売れました。あれによって、コンシューマ市場においてISDNを使ったインターネット接続を確立させたと言ってもいいと思います。
そのうちに、ネットワークをルータで作ることが当たり前になり、法人向け市場も視野に入ってきました。お客様に意見を聞くと、「複数のイーサネットインタフェースを持ったルータがあったほうがいい」といった意見があり、ヤマハと何ども議論したのを覚えています。
福田氏:法人プロジェクトが加速してきたのは、NTTやNTTデータといった回線に強いベンダーの影響も大きいと思います。企業の基幹系ネットワークに対応したRT140シリーズのあと、イーサネットをISDNでバックアップするというコンセプトのRTX1000が出て、法人向けが広がっていきました。
福井氏:われわれもコンビニやレストランに納入が決まると台数がまとまって出るので横展開は狙っていきました。ターゲットのお客様のネットワークはどのSIerがやっているかを調べて、そこに売り込みにいったりしました。そこで感じたのですが、その頃にはもうヤマハのルータに愛着を感じている人がいました。メーリングリストでの情報提供もそうですが、情報がきっちりしていました。たとえば、リリースノートにはバグの修正記録までしっかり出ていましたし、ファームウェアの無償アップデートも率先して行っていました。そういう斬新な数々の試みが積み重なって、愛着につながっていったのではないでしょうか。