これまでの連載では、「なぜ企業に変革が必要なのか」についてお伝えしてきました。今回は、DX組織のグランドデザインをテーマに解説していきます。ポイントは、大企業がイノベーションを起こすための組織の全体構想を探ることです。
自社のデジタル革命の必要性を認識した企業は、組織のグランドデザインを描きながらイノベーションを模索しています。2019年7月には、ISO56002を中心とした産業史上初のイノベーション・マネジメントシステムに関する標準規格が発行され、企業や政府機関が注視しているところです。ISO56002の「4 Context of the organization」では、利害関係者、プロセス、テクノロジーから成る組織のコンテキストがうたわれています。
そして2019年10月には、経済産業省から「日本企業における価値創造マネジメントに関する行動指針~イノベーション・マネジメントシステムのガイダンス規格(ISO 56002)を踏まえた手引書~」が公開されました。同資料内では、行動指針ごとに価値創造時における企業が陥りやすい「あるある課題」が各社の事例と共に紹介されています。ご覧いただくと、組織変革の難しさについて共感される部分があるはずです。
SAFeにおいては、ビジネスアジリティを高めるための重要な考え方として7つのコアコンピテンシー※1が示されています。各コンピテンシーでは、必要となる関連知識、スキル、行動様式が構成されており、プラクティスを確認することができます。
前述の日本企業における「あるある課題」を、SAFeの7つのコアコンピテンシーにマッピングすると、大枠で関連があることがわかるはずです。価値創造における「あるある課題」の事例では、各社のDX取り組み状況が異なります。そこで、組織のDX化状況を逐次確認しながら、その進捗に併せてアプローチを見直しながら推進していく必要があります。SAFeではそのDX化状況を計測する手立てとしてビジネスアジリティアセスメント(Measure & Glow)と、その段階に応じたアプローチとしてインプリメンテーションロードマップ※2が示されています。
※1 7つのコアコンピテンシーについては、本連載の第2回を参照してください。
※2 インプリメンテーションロードマップについては、本連載の第8回を参照してください。
今回解決する課題
今回解決する課題は、組織構造がDXに適したかたちになっていないことで起こる以下の課題です。
- A-2:新技術が登場しても、それを活用したサービスを他社に先駆けて生み出せていない
- A-3:経営層/ビジネス層が戦略を変更しても、現場まですぐに浸透させられず、組織内に混乱が生じる
- C-3:顧客/親会社の関係者とIT/開発のメンバーがフラットな立場で開発を進められていない
- D-2:優秀なエンジニアが確保できない、確保できてもすぐ離職してしまう
- D-3:ITシステムの開発のアジリティを高めようとすると、セキュリティ/性能などの非機能要件の対応が後回しにされる
従来の組織構造のままDXの取り組みを推進すると、次のような状況に陥りがちです。
- サイロ化された機能分担型の階層組織の”柵”により、価値創造活動に熱意のあるメンバーが新しいビジネスチャレンジに参画できない
- 複数部門にまたがる大きな案件では利益管理上、責任組織を決めきれず、推進者不在となりサービス創出の活動自体が停滞してしまう
- 元請け/下請けの関係から要件提示/要件伺いという従来開発の進め方から抜け出せず、IT/開発側がビジネス変更の必要性を感じていても、従来プロセスでは要件は膠着的で容易に変更ができない
- 価値創造活動を募集する仕組みや、その仕組みを使った自主的な活動が、組織的な支援を受けられず一時的なもので終わってしまう
既存組織の足かせが要因となって新サービスを提供するまでに時間を要し、新規サービス創出の機会を失うと、DXの推進が遅れるだけでなく、メンバーの意欲を低下させてしまいます。それらを解決する上で押さえるべきポイントは以下の通りです。
- 既存の組織の壁を超えることで、企業体を維持しつつ新規サービス創出できる体制を作る
- 新規サービス創出活動で、ビジネスオーナーやステークホルダーが開発メンバー全員と対話できる環境整備をすることで、当事者意識の醸成を行うビジネスオーナーシップを確立する
- 利益管理の責任を特定部門ではなく、価値創出のための特別な体制へ権限委譲することによる裁量拡大を図る
- 価値創出で必要となる、コンプライアンス、セキュリティ、テストなどを専門に行う既存部門のメンバーで構成した技術支援組織(シェアードサービス)を構築。同組織が価値検討からサービス化、運用に至る全てのフェーズへ参画する
組織の全体構想を検討する
では、上述のポイントを押さえつつ、SAFeを使った課題の解決方法について見ていきましょう。
SAFeインプリメンテーションロードマップの12のステップでは、4つ目の「バリューストリームとARTの特定」にて、組織の全体構想を検討します。
バリューストリームとART(アジャイルリリーストレイン)を特定するためには、「バリューストリームワークショップ」を開催します。参加者は、SAFeプログラムコンサルタント(SPC)と、SPCから教育を受けた変革エージェントや経営層、管理職、リーダー層です。ワークショップでは、顧客の手に価値を届けるための全体活動をバリューストリームで定義し、活動で必要となる複数のアジャイルチームを1つのARTとして体制を構築するところまで実施します。
また、ワークショップのなかでは企業における「価値の流れ」を特定します。この特定作業を支援するSPCのために、SAI社より「バリューストリームとARTの識別ワークショップ用ツールキット」が提供されています。同ツールキットは、依存関係、調整、および制約を考慮して設計を最適化するための実証済みの体系的なアプローチをまとめたものです。
バリューストリームとARTの識別ワークショップの事例では、主要なステークホルダーを対象としたLeading SAFe研修に続いて、直接実施されることが多いようです。その目的は、研修でSAFeによるアジャイル開発を基本的に理解した上で、その実践プロセスとしてバリューストリームの特定やARTの設計、さらには最初のARTのローンチ日の決定といった活動を行うことで、知識の定着と組織の立上げの両立を図るためです。
そして、組織設計は完成するものではなく、企業はロードマップのステップの一環として、学習を重ねた後にこのワークショップを繰り返すことがあります。これにより、企業は市場の変化や自身の成長を踏まえ、その時点における最適なかたちになるようにバリューストリーム/ARTを見直し、新たな学習を組織設計に組み込むことができるのです。
バリューストリームとARTを特定するアプローチは以下のように行います。
◆バリューストリームの特定
- 運用面からバリューストリームの特定(オペレーショナルバリューストリーム)
- オペレーショナルバリューストリームをサポートするシステム(ソリューション)の特定
- ソリューションを開発する担当者の特定
- ディベロップメントバリューストリームを定義
- 場合によっては国境を越えたディベロップメントバリューストリームを定義
◆ARTの識別
- 50~125人を1つのARTにする体制で組む。「システム全体」または「関連する一連の製品またはサービス」に重点を置き、価値を一貫して提供する長期的で安定したチームにする
- 他のARTとの依存関係の最小化。他のARTから独立してリリース可能である
- 大規模バリューストリームの複数のARTへ分割する
バリューストリームの全体像/出典:https://www.scaledagileframework.com/value-streams/ |
こうしてARTという既存組織の壁を超える仮想組織が出来上がるのですが、ここで大事なポイントがあります。
SAFeでは、7つのコアコンピテンシーの1つである「Team And Technical Agility」において、サイロ化された組織を機能横断的な仮想組織として再編成する考え方が示されています。企業の価値提供に即したかたちで組織化することで、人事階層や役職、契約形態を超えて、顧客の手に届けるまでの価値の流れがバリューストリームとして活動全体を可視化できるようになるというわけです。仮想組織も人事や機能管理のための資金に責務を負い、既存組織と共に2つのオペレーティングで進めることで、企業体を維持しつつ企業活動を推進できるようになります。
ART編成は多様なロールで組織の壁を越えて構成/出典:https://www.scaledagileframework.com/team-and-technical-agility/ |
価値を提供する際に、複数のARTによる構成が必要となるケースについては、SAFeでは「Large Solution SAFe」もしくはLarge Solution SAFeを包含する「Full SAFe」というConfiguration※3で定義されています。そこで示されているのは、課題で挙げている顧客/親会社の関係者や開発のメンバー/協力会社との連携を、ソリューショントレイン(ARTs)で形成する方法論です。
Large Solution SAFe/出典:https://www.scaledagileframework.com/large-solution-safe/ |
また、こうした考え方は7つのコンピテンシーの中で「Enterprise Solution Delivery」として掲げられています。このように、人数規模/ART構成に応じてConfigurationを拡張できるのがSAFeの特徴です。
※3 Configurationについては、本連載の第4回を参照してください。