火星の空を舞い、地球以外の惑星で初めて飛んだ航空機となった小型ヘリコプター「インジェニュイティ(Ingenuity)」。2021年4月から今年1月まで、当初の計画を大きく超える、通算72回の飛行を行い、累計で17kmも移動するなど、歴史的な成果を残した。

この活躍により、火星探査においてヘリコプターが活用できることが実証された。そして、将来的により本格的な火星ヘリコプターを送り込み、これまでにない探査活動を行うことができる可能性も出てきた。

  • 史上初めて火星の空を飛んだヘリコプター「インジェニュイティ」

    史上初めて火星の空を飛んだヘリコプター「インジェニュイティ」 (C) NASA/JPL-Caltech/ASU/MSSS

インジェニュイティ

インジェニュイティ(Ingenuity)は、米国航空宇宙局(NASA)ジェット推進研究所(JPL)が開発した小型の無人ヘリコプターで、火星の空を飛ぶ技術の実証を目的としている。

これまで、地球以外の天体の空を動力飛行した例はなかった。金星の空を気球で飛んだり、土星の衛星にパラシュートで降下したりといった例はあるが、動力飛行する航空機はインジェニュイティが史上初だった。

インジェニュイティとは「創意工夫」や「発明の才」といった意味をもつ。その名前のとおり、火星の空を飛ぶために多くの創意工夫が凝らされている。

火星でヘリコプターを飛ばそうとした際、最も大きな障害となるのが大気の薄さである。火星の大気圧は、地上付近ですら地球の約1%で、高度30kmに相当する薄さしかない。そこで、インジェニュイティは質量1.8kgのティッシュ箱ほどの小さな胴体に、直径約1.2mの大きな二重反転ローターを装備し、地球のヘリコプターの何倍も速い毎分約2400回転で回るようになっている。

また、極寒の火星の夜を耐えるために、多くの火星探査機はプルトニウム238(放射性同位体)を使うヒーターを搭載しているが、質量が大きく高価でもあることから、インジェニュイティは普通の電熱ヒーターを装備している。電力はローターのさらに上に装備した太陽電池でまかなっており、約350Wの電力を供給する。少ない電力でローターやヒーターを動かすため、電源系は高い効率で動くよう造られている。

さらに、火星と地球との間は遠く離れており、電波が届くのに片道5~20分ほどもかかるため、ラジコンヘリのように地上から操縦することはできない。そこで、インジェニュイティ自身が、カメラから得た画像をコンピューターで処理することで、完全に自律して飛行できるようになっている。また、地球との直接通信もできないため、通信は火星探査車「パーサヴィアランス」を介して行う。

コンピューターにはQualcomm Snapdragon 801とArm Cortexを使い、OSもLinuxベースのものが使われており、こうした既製品、民生品が火星でも使えるかどうかという試験も兼ねている。

目的はあくまで技術実証であり、簡単なカメラを積んでいるだけで、科学観測を行うための機器は積んでいない。

インジェニュイティは2020年7月に、パーサヴィアランスに搭載された状態で地球を飛び立った。そして、2021年2月に火星のイェゼロ・クレーター(Jezero Crater)に到着した。その後、パーサヴィアランスによって飛行に適した場所へと運ばれ、4月3日に分離され、火星の地表に降り立った。

  • パーサヴィアランスの自撮りと、写り込んだインジェニュイティ

    パーサヴィアランスの自撮りと、写り込んだインジェニュイティ (C) NASA/JPL-Caltech/MSSS

そして日本時間4月19日16時34分(米東部夏時間同日3時34分)、インジェニュイティはローターを勢いよく回して離陸した。高度約10ft(約3m)まで上昇したあと、30秒間にわたって安定したホバリング状態を維持した。その後、正常に降下し、地表に無事着陸した。このときの飛行時間は39.1秒だった。

初飛行の成功後、その成果をたたえ、飛行した一帯の領域は、人類初の動力飛行を成し遂げたライト兄弟にちなみ「ライト兄弟フィールド」と名付けられた。

インジェニュイティはその後も飛行を重ね、4月30日の4回目の飛行では、水平方向に約270m飛行し、さらに5月7日の5回目の飛行では、最高高度10mに達し、さらに水平方向130.84m移動し、離陸地点とは別の場所に着陸することに成功した。

もともとの計画では、インジェニュイティの活動期間は30ソル(31地球日)で、最大5回の試験飛行を実施することになっていた。しかし、試験が順調に進み、機体も正常だったことから、ミッションは延長され、その後も飛行を繰り返した。

最終的に、飛行回数は72回、総飛行時間は2時間あまり、総飛行距離は17kmを数えた。1回の飛行における最大到達高度は24m、飛行距離は708.91m、飛行速度は10m/sを記録した。

  • 初飛行したインジェニュイティが撮影した、地上に映った自身の影

    初飛行したインジェニュイティが撮影した、地上に映った自身の影 (C) NASA/JPL-Caltech