3~6歳が気持ちの伝え方を学ぶサポートをしたかった

「たくさんのきもち」は、これまでの絵本にはない斬新な構成が特徴だ。NTTコミュニケーション科学基礎研究所とNTT印刷は、どうしてこのような絵本を作ろうと考えたのだろうか。渡邊氏は2つの理由を挙げる。

「気持ちをテーマにした絵本は、年齢が低いお子さん向けのものがいくつかありますが、年齢が少し上がると、気持ちをマネジメントするような難しめの絵本が多くなる印象がありました。そのちょうど真ん中、つまり表情がわかってきて、気持ちのこともわかってきているお子さんをサポートしてあげる絵本が足りないな、と感じていたことが理由の一つです」(渡邊氏)

「もう一つの理由は、3~6歳の気持ちを言葉にするサポートをしたいということです。その年代のお子さんは体験できることも増えてきますが、感情をうまく言い表す手段がなくて、つい『ワーッ』と暴れることもありますよね。そんなお子さんがモヤモヤを伝える言葉を学ぶ手助けをしたいと思いました」(渡邊氏)

そのうえで渡邊氏は、「気持ちがテーマの絵本だからといって、お勉強の本にはしたくなかった」とその思いを語った。

「われわれが研究してきたデータをもとにしたさまざまな感情を入れていますので、これを楽しく学んでもらうための工夫が、一番大変だった点です。しかし、さすがはかしわらあきお先生です。子どもの気持ちがいっぱい出てくるんだけど、ちょっと冒険に行くようなワクワク感で引き込まれるような絵本に仕上げていただけました」(渡邊氏)

本著を担当した作家は、発行部数100万部を超える人気絵本「いっしょにあそぼ『しましまぐるぐる』」(‎学研プラス)などで知られる、かしわらあきお氏。個人差はあるものの、基本的にストーリーを追うだけで50個の感情すべてを感じられる構成になっている。もちろん、同氏の絵柄も絵本の中に入っていく手助けになっているだろう。

「『きもちの図鑑』に掲載されている50個の言葉は、私が関わった大事な研究データの一つですね。これは保護者の方が評価された、3歳から5歳児のお子さんが生活の中で使っている感情語145個のトップ50です」(渡邊氏)

この本を自治体などに紹介すると、「よく使う言葉だったらわざわざ教えなくても良いのでは?」と質問されることも多いという。だが実は、親子会話だけでは語彙数は増えにくく、絵本を通して新しい言葉、非日常的な言葉と出会う機会を作ることで、子どもたちはよりさまざまな感情を学ぶことができるそうだ。

“かんしゃく”は気持ちを伝えられない子どもの叫び

自分の気持ちを言葉にして伝えることを求められる欧米文化と異なり、日本は気持ちを読み取ってもらう傾向、察することを求める文化が強い。渡邊氏は、発達のためにも子どもにより多くの感情語を身につけてほしいと話す。

「欧米、特にアメリカでは、自分の気持ちを言うことが個性の主張の一つなのでとても重要視されています。そのため、感情能力の発達をサポートする取り組みが早くから進められています。気持ちの表現は、実は勝手に覚えるものではないのです」(渡邊氏)

もちろん、日本が取り組みをしていないというわけではないが、アメリカと比べると組織的なプログラムとして系統立てられてはいないという。

「子どもはもちろん、大人になってもコミュニケーションが苦手な人はたくさんいます。子供のころから少しずつサポートしていくと、コミュニケーション力が身につくと思うんですよね。自分の感情を理解したり、感情を伝えることで気持ちがほぐされたりすると、問題行動が減ったり、学校などの授業にもついて行きやすくなったりします。感情語を使える子は、いわゆる“かんしゃく”を起こす前に言葉で解決できるようになると思います」(渡邊氏)

  • 「子どもが感情を学ぶことでコミュニケーションはより良くなる」と話す渡邊氏

大人は、子どもの感情が爆発することを“かんしゃく”の一言で表しがちだ。だが、子どもには子どもなりに言いたいことがさまざまあり、それが伝わらないモヤモヤが“かんしゃく”という形で表れているのだろう。自分の感情を言葉にできればコミュニケーションが円滑になるという主張には説得力がある。子ども自身も、自分の不満を“かんしゃく”の一言で片付けられるのは心外だろう。

近年、コロナ禍でマスク生活が続いている。感情発達が著しく伸びる3~5歳の時期に口元が見えないことで、感情表現の発達に不安を覚える親は多いだろう。だが、専門家の多くは「そこまで心配しなくても良い」と考えているという。

「もちろん長期的な影響はまだわかりませんが、子どもたちも顔だけで気持ちを読み取っているわけではなく、声色やしぐさなどからも補完して読み取る力をつけていっています。もしかしたら、目からの情報を読み取りがすごく上手になったりするかもしれませんね」(渡邊氏)

コロナ禍では人とのふれあいが少なくなっているが、そのぶん親と触れ合う時間が増えており、学びはむしろ深くなっている傾向もあるという。子どもたちも、ニューノーマル時代に適合する形で感情を学んでいるのかもしれない。

すべての子どもたちに平等に本を届けられたら

「たくさんのきもち」をリリースしたことで、就学前の全年齢をカバーした「パーソナルちいくえほん」。今後の展望について、NTT印刷の細川勉氏は次のように話す。

  • 2~3歳児は「ひらがななまええほん」「カタカナなまええほん」と合わせて読み進めると良いだろう

「今後は、小学校入るまでの言葉や心の発達に対して、少しでもポジティブな影響を与えていければと考えています。われわれは、すべての子どもたちに平等にこういう本を届けられたらいいなと思いながら活動しています。自治体や保育施設などを通じて、もっともっと広めていけたらうれしいです」(細川氏)

実際に、保育施設からは「強制ではなく、子どもがこれから進むであろうステップを自然に提示できるのが素敵」「未就学児に向けた個別最適化の一つ」と好評を得ているという。最後に渡邊氏は、親子や保育施設、自治体に対して次のようにメッセージを送った。

「親子でも保育施設でも、きっかけがないと気持ちについて話しにくいものです。だからこそこの絵本は、お子さんが日々どんなことを感じているかを聞く、よい機会になるのではないでしょうか。コミュニケーションツール的に楽しく使っていただけたらいいなと思っています」(渡邊氏)