『CHUGAI DIGITAL VISION 2030』の達成に向けた具体的な取り組みの肝は、デジタルIT基盤の強化である。リアルワールドデータやゲノムデータなど、取り扱いに配慮が必要な機密な情報を大容量かつ高速で解析するためのインフラやデータベースを整備して、活用を開始している。
厳格に規定された臨床試験によって得られるデータではなく、電子カルテや処方箋など、日常の診療から得られるデータをリアルワールドデータと呼び、近年の製薬業界で注目が集まっている。
同社は技術面での基盤強化と同時に、人財面での基盤強化にも取り組む。デジタル人財の育成を推進するために、Chugai Digital Academyを社内に設置した。デジタル技術を活用したプロジェクトを指揮するリーダーや、データサイエンティストの育成に着手したとのことだ。
中西氏は同社のユニークな取り組みとして、デジタルイノベーションラボ(DIL)を紹介した。この取り組みは、社内のさまざまな課題をデジタル技術で解決することを目指した公募型のプロジェクトである。組織の壁や予算に制限されることなく、DILの審査を通過したアイデアには予算が割り当てられて、PoCの段階へ進む。
「あえて審査基準は緩くして、とりあえずやってみたら?くらいの温度感で、アイデアを選定しています」と、中西氏は語る。それは、多くの社員がデジタル技術に触れる機会を増やすことで、ICTを取り入れた課題解決に対する風土を社内に醸成するためである。過去2回の公募では、計300件近いアイデアが寄せられたとのことだ。
応募されたアイデアは、VRによる分子モデリングや、ウェアラブルデバイス活用のためのプラットフォーム構築など、創薬に向けたものにとどまらない。社内に保管されている文書を一元管理して検索可能にするツールや、社内の人脈を可視化するツールの導入など、日常の業務に役立てられそうな意見も寄せられたという。
このように構築したデジタル基盤を使用して、同社はバリューチェーンの効率化を進める。具体的には、治験関連文書作成の効率化や、デジタルプラントの導入、デジタルマーケティングを推進している。また、RPA(Roconsider Productive Approach)として、2023年までに10万時間以上の既存業務の削減を目指すとのことだ。
同社はバリューチェーンの効率化によって生まれた経営資源を、新薬創出のために活用する狙いだ。中西氏は「AIなどのデジタル技術を活用した創薬によって、開発期間の短縮が見込めます。また、ウェアラブルデバイスなどを用いて、これまで取得できなかった生体データを収集して患者さんの状態を可視化できるようになれば、医薬品の本当の価値を考えるきっかけになるのでは」と述べる。
これまでは患者の主観でしか評価できなかった痛みなどの情報を、患者の生体データや行動データから評価できれば、より正確な薬の効能評価が可能になる。同氏は「新たな医薬品を毎年上市するのは非常に野心的な目標です」としながらも、創薬から生産までのプロセスを効率化することで目標達成を目指すという。
8月上旬に同社を含む製薬企業5社が、データサイエンティストおよびデータエンジニア向けのイベントを開催した。これについて中西氏は「製薬業界でデジタル人財が必要であるということが、まだまだ認知されていないと感じます」と話す。
続けて同氏は、「デジタル企業やデジタル人財に興味を持ってもらうためには、当社だけの活動では限界があります。人財獲得のためのイベントや、政府への提言などに複数社で取り組むことで、当社だけでなく業界全体でデジタルリテラシーを底上げしていきたいと思います」と述べた。
2021年9月8日17時30分訂正:
記事初出時に記載しておりました「1925年の創業以来、革新的な医薬品の開発に注力してきた中外製薬」に関しまして、同社は創業時は医薬品の開発はしておらず、輸入薬の販売を主としていたことから、当該部分を訂正致しました。
「VRによるタンパク質の構造解析や、ウェアラブルデバイスの機能比較」に関しまして、VRではタンパク質の構造解析はできないこと、また、ウェアラブルデバイス活用の目的が機能比較ではなくプラットフォーム構築であることから、当該部分を訂正致しました。
「2023年までに10万時間以上の既存業務の削減」に関しまして、バリューチェーンの効率化全体の目標値ではなくRPAにおける目標値であることから、当該部分を訂正致しました。
ご迷惑をお掛けした読者の皆様、ならびに関係各位に深くお詫び申し上げます。