なにをどう学ぶべきか?

司会:同じ色に染まると、これまでの話で出てきた価値の創造の仕方も同じものになってしまう可能性も出てくる懸念が出てきますね。今、教育の話が出てきたので、次の話題として、どこまで必要となる数学的な基礎を育む教育を、どういうタイミングで、どういった形で学ぶべきだと思うのかをお聞きしたい。

藤原:伝えられるのは自分の経験だけで、そういう意味では50年ほどの経験しか話せないんですけど、あまり抽象的な数学や算数は教えてもしょうがないと思います。むしろ具体的であるべきだと考えます。これはノスタルジーだといわれると、そうなんですが、ユークリッド幾何を教える方がよほど意味があると感じるんです。あれは図形ですから、図形を教えるのに何の役に立つんですかとも言われますけど、それぞれの人が自分の口で答えられるはずなんです。家の庭を造るのに必要だとか、この折り紙を折るのには何枚必要になるのかとか、いろいろなものが教材になる可能性がある。ユークリッド幾何では、みんな自分の経験を元にした話ができるわけです。

逆に、それ以上の数学的議論はできないと思います。つまり、因数分解は何のために役に立つのですか? と親に説明しろと言っても、そんなものを説明できる親はそうそう居ないわけですよ。そういった役に立たないとは言えないけど、何の役に立っているかがわからないところにもうすでに踏み込んでいるのは感じますね。

宅島:教育もボトムアップとトップダウンの迫間にあるのだと思ってます。特にAI、データサイエンスのムーブメントが起こっている中で、教育現場もビジネスの現場もどうやっていこうかという混沌とした状態で、迷っているように感じます。

日本の教育制度自体が、この学年で、これを習得して、というのが小中高大という中で定義づけされていること自体はボトムアップだと思いますが、その制度自体が先ほどのマグロを釣るにはどうすれば良いか、結果に向かって、どういうステップを踏んでいくかの思考を止めてしまうような、動きになりかねないのかな、という危惧は感じますね。

そういった教育のやり方に行けるのかどうかはわかりませんが、世の中で何かの事象を見たときに、なぜ、これが起こるのか、これを見たときに、何を学べばよいかといったことが自然と、逆引き的に引けるようになれば良いのかなとも思いますが、現実には試験という制度もあるわけですし、日々の成績の問題もありますから、そういったところに踏み出すための障壁になっている一面もあるのかな、という気はします。

  • AI人材

    MathWorks Japan アプリケーションエンジニアリング部(テクニカルコンピューティング)部長の宅島章夫氏

保科:私自身、アクセンチュアの社会貢献プログラムを通じて、デジタル時代を生き抜くために必要なスキル構築の機会を若者向けに提供しています。様々な活動をしており、その中のひとつに小学生向けのロボットプログラミング教室があります。簡単なロボットやドローンを操作するためのプログラミングを教えた後に、「君たちの身の回りにはどんな課題があるかを考え、今教わったことを使ってそれを解決するデモをしてみよう」と進めていきます。すると、時には大人顔負けの良いものを作ることがあるのです。

例えば、秋田の角館で開催したときは、身の回りの課題としてお花見の観光客が置いていくゴミ問題が挙がり、ドローンを使ってゴミを拾うデモを実演する子どもたちがいました。会津で開催したときは、遊び友達が足りないということで、野球の相手をしてくれるロボットのアイデアを、簡易なデモを通じて披露してくれました。横浜では、暑い時期でしたので、温度センサーも活用して温度が高くなるとリモコンがおもちゃの車で運ばれる、お年寄り向けの仕組みが出来ました。アクセンチュア・イノベーション・ハブ東京で開催したときには、「これからはセキュリティが大事だから」と人感センサーやiPadを組み合わせ、怪しい人が近づくと警告を発しつつ写真が撮られ、それが自動転送されるような簡易な防犯システムを作る小学生がいて、とても驚きました。今あるデジタル技術を使えば、小学生でも身の回りにある課題を自分なりに見出して解決したり、興味を持ったことを実現したりできるのです。そのような場面を何度も目の当たりにしました。

今使える技術で身近な課題を解決する、といった体験を小さな頃から積んでいくことは重要ですし、一方で、数学をしっかり学ぶことは機械学習やディープラーニングに取り組む上で大切です。例えば、線形代数はどこまで教えるべきかという議論もありますが、行列やベクトルの知識はビジネスでも有用です。確率や統計は、ビッグデータを扱うにあたり避けて通れません。微分の知識も様々な予測モデルを作る際に必要となります。ただ教える側も、最新のビジネス知識を取り入れながら、学生に対して、この学問は実社会ではこう使われると具体的に示し、意識付けすることも必要だと思います。

宅島:私は技術職として、いろいろな技術領域をわたり歩いてきましたが、一番長いのはロボティクス、フィードバック制御、線形代数を応用するような世界でした。今は、AI、データサイエンスの領域に入ってきて、実際にお客様に対して、こういった課題解決を提案していきたいとなったときに、私は何を勉強すべきか、という自分自身にもその課題が跳ね返ってきてるんですよね。まさに、そういう学びというか、経験というのが教育の現場でも必要になってくるのではないかなと、子供のころにそういう経験をしておけばと思いますね。

保科:どう役に立つのかを知らないで教えられたものと、これを使うとこういうことに役立つと知ったうえで教えられるものでは、興味の度合いも違いますし、記憶の定着も変わってくると思います。

上田:まさに藤原先生がおっしゃった学生がいらだっているという話につながってくる。

藤原:僕のいらだっていると言ったのは、彼らの知識欲や向上心を満足させられない、という意味ですね。外圧に対してストレスを感じているというよりは、枠を決められて、そこから出ちゃいけない、あるいは出口を誰も提示してくれない、ということにいらだっている印象なんです。

だから、ちょっと水を向けてやれば、彼らは何でもやり始めるわけです。でも、今は社会も大学もそれを押さえ込んでいる気がします。

学生の価値を決めるもの

  • AI人材

司会:その辺の話は、根が深い問題で、ここでは結論が出ないテーマになりそうなのですが、お話を聞いていると、4名ともに、根本的な部分の志は同じように思えてきます。そういった意味では、子供の興味・関心を伸ばそうといった話は大昔から言われてきたわけですが、今は、それが簡単にできる時代がきた、ということを多くの人に認識してもらうことが重要なのかなと思いますね。企業にしても、そういうことをやらせてくれるんだ、とかそういうツールや技術をもっているんだ、と伝われば、企業そのもののブランド価値が上がるわけですし、大学にしても、企業がそういうことやれるなら、学生はもっと自由にやって良いんだ、といいやすくなるというようなことにつながるはずでしょうから。

保科:私は、学生だからこそ発揮できる価値もあると思っています。今は、世の中の動きが非常に早く、先を読むことが難しい時代です。特にAI技術はアルゴリズムだけを見てもどう振る舞うのか判らず、データを与え実際に試してみて初めてその価値が判ることが多くあります。

やってみないとわからない、機敏かつ柔軟に進めざるを得ないというときに、自由な発想でとりあえずやってみようという姿勢が重要です。今、気軽に使えるアルゴリズムや環境が多数出てきており、学生が自由な発想でチャレンジできる世の中になってきていると思います。企業の立場としても、自分で色々なことを試してきた学生を採用しています。

藤原:最近は学生が怪我をしなくなったんです。昔だと、機械工作で大怪我をするとか火傷をしたりすると大事になるので、先生たちは手間がかかるけど相手をしていたんです。でも今は、コンピュータとソフトウェアを用意して、データを入力するだけで怪我なんてしないわけです。だから、むしろ放っておいて、好きにやらせたら良いという感じは持ちますね。

保科:今の大企業もかなりコンサバだと感じています。よく、失敗を恐れるなと言いますが、私は企業の経営者に対しても、「失敗を恐れるなではありません、失敗を推奨してください」と話しています。特にAI技術を使う場合、実践してみないと学べないことが多いので、失敗前提で取り組まなければなりません。ただ、経営者として重要なのは、闇雲に失敗するのでは無く、予め失敗を許容する範囲をしっかりと決めることです。その範囲中で従業員をいっぱい転ばせて、いっぱい学ばせてくださいとお伝えしていますが、このような判断ができる経営者はまだまだ少ないと感じますね。

司会:そういう意味ではNTTという会社は日本的で規模も大きいわけですけど、どうなんですか?

上田:少し質問と異なるコメントになるかも知れませんが。AI技術には、基礎と応用といろいろとフェーズもあるし、数学のレベルもいろいろあるので、まちまちだと思うのですね。失敗を恐れるな云々、という話に関しては、大昔からそういう話はあるし、日本が遅れているポイントは一体何なのかということです。

なかなか難しいのですが、価値創造という観点で、若い人は頑張っていろいろやろうとするんだけど、まだ日本の制度などが追いつけていなくて、日本で今頑張っているのはベンチャーだと思うんです。大企業だと、いろいろなしがらみがあって、自由にできないことが多いのですが、ベンチャーであればいろいろ動きやすいですからね。

教育の話にしても、小学生のときから1を3で割るとはどういうことかなんて考えさせてはいけない。人間の脳には大脳基底核というのがあって、強化学習はもともとそこから来ているんですが、自信を失うと脳は活性化しないんです。結局、人間は脳で動いているので、脳をいかに活性化させるかといったときに、やはり楽しい、興味があると思うと、一気にレベルが上がるんですね。

"興味"をどうやって生み出すかが教育の根本だと思います。教育の課題として、非常に単純な言い方をすると、教育者に対する報酬が低すぎる点だと思います。

教育が事務的になるほど、教科書にあることを写すことになり、そのような状況で興味を持つはずがないのです。でも予備校の先生を見てください。もちろん大学受験というKPIに焦点を当てるわけですが、こういう問題はこうやって解くんだと教えるのですけど、解けた人たちは、なんだこうやるのか、理屈はわからないけど解けた、という経験があると、数学って面白いね、という経験につながって、そこから順を追って極めていくのではないかと思います。

例えばジュースを2人で分けるにはどうやったら良いか、といった問題の時に、まずは1人が適当に分けて、もう1人がどっちかを選べば公平ですよね、という考え方を出しても良いわけですよね。そういう色々なこと、実学と交えた教育をもっとやる必要があると思っていますが、それには先生の教え方の工夫がいるんです。