30年越しの悲願
1996年11月16日、マルス96が打ち上げに失敗したことで、その予算がスペクトル計画に割り当てられることになった。全体の開発費からすると雀の涙だったようだが、それでも計画は息を吹き返した。
そしてこの動きに、米国をはじめとする世界各国が協力を申し出た。老朽化したロシアの地上局には、NASAジェット推進研究所(JPL)が最新機器を提供した。また、スペクトルRが実施するスペースVLBI観測には、米国が保有する地上の電波望遠鏡も参加することになった。
このとき、計画の優先順位はスペクトルRGが最も高かった。しかし、その開発も遅れに遅れ、そうこうしている間に、欧州宇宙機関(ESA)が2002年に、スペクトルRGに似たガンマ線天文衛星「インテグラル」を打ち上げてしまう。そこでロシア科学アカデミーは同年、スペクトルRGの開発を一時的に凍結し、代わりにスペクトルRの開発を最優先とする決定を下した。
開発の優先度が繰り上がったスペクトルRは、2002年の時点で2004年から2006年、遅くとも2007年までに打ち上げることを計画されていた。これには当時、日本が開発を計画していた、「はるか」に続く電波天文衛星「ASTRO-G」に先んじるためという目標があった(なお、ASTRO-Gは2011年に、アンテナの技術的課題や予算などの問題から、開発は中止となっている)。
だが、スペクトルRの開発もまた、遅れに遅れた。開発費は不足していたうえに、さらにソ連崩壊後の混乱は、開発に必要な技術力をも衰えさせていたのである。
2003年の中ごろ、ラーヴォチキンの管理体制が一新され、同時に開発方針にメスが入った。オーカを基として開発することを取りやめ、新開発の衛星バス「Navigator」を用いるなど、計画は刷新された。
その後も、打ち上げ予定年が毎年1年延びるという有様だったが、それでも開発と試験は続いた。2010年には、スペクトルRからのデータを受信する地上局で火事が起きるなどの不運にも見舞われたが、スペクトルRの製造は進み、そして試験も通過し、ついに2011年3月18日に完成した。
そして同年7月18日、ウクライナ製の「ゼニート3F」ロケットに搭載されたスペクトルRは、カザフスタン共和国のバイコヌール宇宙基地から飛び立ち、無事に軌道に入った。検討開始からじつに30年ぶりの悲願が達成された瞬間だった。
科学的成果と寿命
スペクトルRは打ち上げ後、アンテナがうまく展開しないというトラブルはあったものの、のちに解決。そして国際共同でのスペースVLBIプロジェクト「ラジオアストロン」が始まった。
1年目の観測においては、地上の電波望遠鏡と共同で、29の活動銀河核、9つのパルサー(中性子星)、そして6つの星形成からのメーザーを観測。また2012年10月には、欧州の望遠鏡と共同で、短い期間で激しい変動をすることで知られるブレーザー天体S5 0716+714の観測にも成功している。
2014年には、ラジオアストロンの観測成果から、クエーサーから出ている宇宙ジェット(Relativistic jet)の長さが、約1光年であることが測定された。また従来は、地上の電波望遠鏡で観測できる限界により、宇宙ジェットの明るさが正確にはわかっていなかったが、ラジオアストロンによる観測で、従来考えられていた以上にかなり明るいことが判明した。
そのほか、データの分析や研究はいまなお続いている。
スペクトルRは設計寿命の5年を超えて稼働し続け、2019年1月には7年半に達した。しかし、1月10日から通信を確立できなくなり、低利得アンテナの送信機が立ち上がらないなど、正常に運用できない状態となった。観測再開に向けた作業が続いているが、2月11日時点では、まだ復旧には至っていない。
ただ1月15日にまでに、高利得アンテナから出ている信号がキャッチされており、衛星の電源は生きていることが判明。通信を再確立できる見込みもあるという。2月5日までには、衛星の姿勢制御系に問題があることがわかったという報道もあり、通信の回復後、姿勢制御を立て直せるかどうかが焦点となる。
後継機とロシアの宇宙科学復活への期待
スペクトルRがこのまま復旧しなければ、ロシアから天文衛星が消えることになる。また、ロシアは欧州と共同で火星探査機「トレース・ガス・オービター」を送り込んでいるが、衛星を開発したのは欧州企業のタレス・アレーニア・スペースであるため、ロシアが自ら手がけた科学衛星もなくなることになる。
それでも、スペクトルRが設計寿命を大きく超えて稼働し続け、多くの成果を残したことは、マルス96から続くロシアの宇宙科学の低調さを打ち砕く、希望となりつつある。
事実、現在ロシアでは、スペクトルRのあとを継ぐ、新たな天文衛星の開発も進んでいる。
ひとつは、スペクトル・シリーズのひとつとして、そしてかつてはスペクトルRより先に打ち上げられる予定だった「スペクトルRG」である。ロシアとドイツが共同で開発しており、RGとはレントゲン(Roentgen)とガンマ(Gamma)の頭文字、またロシアとドイツの頭文字にもかかっている。
レントゲン、ガンマという名前にも表れているように、X線、ガンマ線によって、銀河団や活動銀河核などの観測を行う。
衛星はすでに完成しており、打ち上げは2019年6月ごろに予定されている。
もうひとつは、やはりスペクトル・シリーズの「スペクトルUF」である。UFとはロシア語で紫外線を意味するUltrafioletのことで、文字どおり紫外線を使って、銀河同士のネットワーク「コズミック・ウェブ」やダークバリオン物質の探査、宇宙の熱的・化学的進化の研究、また太陽系外惑星の大気の分析などを行うことを目的としている。現時点で打ち上げは2021年以降に予定されている。
そして2025年以降には、「スペクトルM」と呼ばれる天文衛星の打ち上げも計画されている。サブミリ波から遠赤外線域を観測対象とした衛星で、宇宙の化学進化や、ブラックホールのホーキング放射、ダークエネルギーなどについて調べることを目的としている。
今後、スペクトルRGの打ち上げに始まる、ロシア版グレイト・オブザバトリー計画の成功と、ロシア宇宙科学の復活に期待したい。
出典
・Spektr-R status and RadioAstron science program
・スペクトルRに関するロスコスモスの声明
・Spektr-R Radioastron
・vsop-2計画:星形成
・TASS: Science & Space - Latest signal from Spektr-R space radio telescope received on February 5 - source
著者プロフィール
鳥嶋真也(とりしま・しんや)宇宙開発評論家。宇宙作家クラブ会員。国内外の宇宙開発に関する取材、ニュースや論考の執筆、新聞やテレビ、ラジオでの解説などを行なっている。
著書に『イーロン・マスク』(共著、洋泉社)など。
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