なぜキログラムの定義が変わるのか?

問題が大きくクローズアップされたのは1989年。30~40年に一度実施される、大元である国際キログラム原器(IPK)と各国のキログラム原器を比べて校正を行なう際に、1889年を起点に、1946年、そして1989年の校正結果から、最大50μgほど変化していることが確認されたのだ。50μgといわれるとピンと来ないが、指紋1個ほどの質量の変化とされる。つまりありえないはずだが、誰かが一回素手で触れた程度の差といえる。変化した可能性としては、さまざまなものが考えられるが、その答えは質量が原器同士の相対測定である以上は、誰にも判断がつかない。

  • 日本国キログラム原器

    日本国キログラム原器(No.6:中央)と副原器(No.30:左)、実験用原器(E59:右)。いずれの見た目はほぼ同じだが、よく見ると、台座のはげ具合や容器の形状が微妙に異なる。なぜ、3個保管されているかというと、各分銅の質量が変化したかどうかを3つを組み合わせることで、容易に特定することが可能となるためである。高さは39mm、直径も39mmで、材質はほぼ白金90%、イリジウム10%という構成となっている。ちなみに日本は、これらのほか、2009年に国際度量衡局より、No.94も購入している。下段は、メートル原器が置かれていた台座

これまで永久不変を維持するべく努力がなされてきたわけだが、実際に質量が変化したことも事実であり、これにより代わりとなる質量標準の模索が始まることとなった。

  • 副原器(No.30)

    副原器(No.30)

  • 日本国キログラム原器(No.6)

    日本国キログラム原器(No.6)

  • 実験用原器(E59)

    実験用原器(E59)

現代の技術を結集した新たな定義を検討

さまざまな代替案が出る中、そのうちの1つに、単一原子における原子配列の周期性の単位である格子定数が分かれば、体積に応じて原子の数を決定できる、というアイデアがあった。実際に、半導体の製造などで高純度化がしやすく、良質な結晶を得やすいシリコンを使えば、出来るのではないか、という話となったが、キログラム原器の安定度(1億分の5)よりも小さな不確かさで格子定数、体積、密度、モル質量などを測定する技術を有する必要があるほか、シリコン(Si)といっても、実は28Si、29Si、30Siという3種類の同位体が混在し、存在比の評価結果は1000万分の1ほどの不確かさがあり、それらの課題を解決することを目指し、この約30年ほど世界中で研究が続けられてきた。

そこで「アボガドロ国際プロジェクト(IAC)」と呼ばれる国際プロジェクトが2004年に始動。日本もファウンデーションメンバーとして参加し、28Siの純度向上に向けた研究開発を続けてきた。

目標はSi同位体の濃縮。自然界のSiの同位体比率は28Siが92%、29Siが5%、30Siが3%ほどだが、これを28Siが99,9994%、29Siが0.005%、30Siが0.001%とすることが求められた。

実際にシリコン同位体の濃縮作業に手を挙げたのはロシアの研究機関。そこでターゲットとする濃度のシリコン同位体結晶を製造してもらい、そこからドイツの結晶成長メーカーの手により、結晶が引き上げられた。製造された結晶は、半導体ウェハのためのシリコンインゴットのような円筒形ではなく、枝豆型とでも表現すればよいような、円が2つつながったような形をしていたという。この形には理由があり、球を2個取れるような形にする必要があったためだという。

  • 同位体シリコン球
  • 同位体シリコン球
  • シリコン球
  • アボガドロ国際プロジェクトで製造された28Siの比率が引き上げられた同位体シリコン球と別途製造された、同位体ではないシリコン球。見た目ではまったくわからない。ちなみに同位体シリコン球は世界に2個しか存在しないとのこと

日本もプロジェクトに参加

プロジェクト参加各国がそれぞれ得意な技術を持ち寄っていた。結晶格子の格子定数測定はイタリアが担当。測定の結果、不確かさは4×10-9で、キログラム原器の安定性が5×10-8であることを考えれば、この不確かさであれば、質量の定義改定に耐えられるものであると判断された。

日本は産業技術総合研究所(産総研)を中心とした研究として、レーザー干渉計による直径の測定を実施。球状にしたのは、角がないことから、高精度な測定が可能であるためであり、700方位から直径を測定。不確かさは0.5nmで、体積の測定の不確かさは2×10-8で、これにより原子の数が判明することとなる。