「Universalist」「Curator」「Auteur」
講演のラストでは、今後デザイナーの目指す人間像として、「Universalist(普遍主義者)」・「Curator(キュレーター)」・「Auteur(映画監督)」の3つを持つことが重要だと語られていました。まとめるならば、普遍的な視点を持ち、情報を集めて編み直し、審美的な感覚を忘れずにプロジェクトをドライブさせる人物になるでしょうか。
他にも、車のダッシュボード周りの造形をAIに制作させてみた事例や、車の展示会場での人の流れと立ち止まる時間をそれぞれ分析することで、展示会場でどのコンテンツが注目を集めたのか、人の動線はどう分類できるか解析をおこなった事例が紹介されました。AIが普遍化し当たり前となった未来のデザイン、デザイナーのあり方について考えさせられる講演でした。
「AI: Ready to Disrupt Experience Design?」や、他のAIに関するセッションを振り返りながら、私は「AI」が「デザイナー」をどう変えるかを考えていました。以下はその簡単なドラフトとなります。
拡張する「デザイン」の副作用
デザインが生まれてから2世紀弱、その概念は着実に変化し、定義の拡大、あるいは再解釈を続けてきました。近年ではとりわけ、デザインという概念を拡張することが「デザイナー」という職種、ひいてはデザイン業界の生存戦略となっています。そしてそれは、会社の重点テーマを「デザイン」と公言するCEOが登場するほどには成功してきたといえます。
現場を眺めてみても、書店のビジネス書コーナーでは大抵何冊か平積みになっている「デザイン思考」や「UX(ユーザー・エクスペリエンス)」といった概念が認知され、ビジネスにおけるさまざまなレイヤーで「デザイン」という言葉が飛び交っています。ビジネス上の文脈と接合されることで、デザインは「見た目が良い悪い」とか「外見をつくる」というステロタイプでは説明できない、複雑で包括的な概念であることが少しずつ理解されるようになりました。
その一方、(見てくれをつくることと考えられていた)以前より、「デザイナー」が何をする仕事なのか、漠として掴みづらくなっています。それは「デザイン」が概念を拡張してきたゆえの副作用と呼ぶべきものです。もとより「デザイン」とは曰く言いがたい概念であり、またそれが語義を拡張している昨今にあって、何が基本のスキルセットなのか、何を目的とすべきか、何を考えるべきで、何をすべきでないのか……。立場や関わる業界が変わればそれぞれ異なっていて、デザイナー同士での共通認識として核たるものが引き出しづらいのです。デザイナーやデザイナーを志す人、あるいはデザイナーに関わるステークホルダーにとって、こうした状況はあまり好ましいとはいえません。
「AI」は「デザイナー」をどう変えるか
AIとデザイナーの協働が今後進めば、遠くない未来、AIが今のデザインの工程のかなりの範囲を担う――AIのほうが分析も、最終的なデザイン案の制作も得意といった状況がやってきます。それはシンギュラリティがやってきてAIが人間を凌駕し、デザイナーの仕事が盗まれるという話ではなく、現状の特化型AIの精緻化が進めば、自然な流れとして生じるでしょう。
AIが代行する領域が多くなるにつれ、デザイナーの仕事は均されていくはずです。先の講演で述べられたデザイナーの目指すべき人物像「Universalist(普遍主義者)」・「Curator(キュレーター)」・「Auteur(映画監督)」を鑑みれば、個々人が強い専門性を有するというよりも、専門性を有するさまざまなAIの手綱を握る側に立つ姿がイメージできます。培った美的感覚と問題解決のスキルを軸に、AIのつくりだす成果物に意味を与え、ストーリーをつくり、それらをクライアントと共有してプロジェクトを進めていく……デザイナーは、いわばオーケストラの指揮者のような役割を担うようになるでしょう。
その未来においてデザイナーのやることは狭まってしまうかもしれませんが、少なくとも今よりはデザインの仕事がシンプルに見通せる状況になると予想できます。その上、AIという新しいツールを駆使することによって、細かな作業に囚われる時間が少なくなるのならば、今までより本質的で刺激的な課題の発見や解決に立ち向かえるかもしれません。そんな未来は(もちろん人によるかもしれませんが)デザイナーとして働くうえで、最も面白い時間ばかりに注力できる夢のような世界だと言ってしまってよいのではないでしょうか?