TSUBAME 3.0は宇宙(そら)を舞う夢を見るのか
こうしたHPCを搭載した宇宙機が実現されれば、人工知能(AI)を有した人工衛星などの誕生も期待できるようになる。では、従来、地上から行っていた指示などは不要になるのか? 答えは否だ。逆に地上の役割は高まることが予想される。
元来、HPCはシミュレーションを元に予測を行う、といったことが目標の1つとして存在している。これは物理演算を用いるため、パフォーマンスがあればあるだけ困ることは無い。ただ、近年、別の角度からの予測方法として、AIによる物理演算に基づくのではなく、過去からの蓄積されたデータに基づく方法が登場してきた。また、現在、脚光を浴びているディープラーニングには、学習のフェーズと推論のフェーズがあるが、学習には膨大なデータとコンピューティングパワーが必要であり、いくらHPCを宇宙機に搭載したとはいえ、それを宇宙空間で行うのは現実的ではない。必然的に、そうした学習は地上で行い、宇宙機に搭載されたHPCでは推論を行うという構図が見えてくる。
「物理演算とAIによる推論、この2つを組み合わせることで、素早く予測を行い、かつ後から複雑な予測をして比較を行い、精度を向上させる、ということが可能になる。もちろん、推論の精度が重要だが、現状、実用的な値がさまざまな分野ででるようになってきた。例えば、サンフランシスコ空港の天気予報を、さまざまな気象条件パラメータから数時間かけて次の日の降水確率を導きだすと、95%の精度。一方、過去40年分の天候データを学習させたAIの推論では、1秒で82%の精度で正確な予測を出せるという。宇宙で生活するためには、この2つを組み合わせることが重要になるのではないかと考えている(米国ハーバード大学の研究によると、がん細胞を検出するAIと医師による識別を組み合わせると、AIのみ92%、医師のみ96%の精度を超す99.5%の精度を達成したという報告もある)。宇宙でもAIは、物理演算を補完する存在として重要な役割を担うようになることを期待している」とのことで、将来、推論を担うSpaceborne Computerに対する学習を担うスパコンとして、実は日本が重要な役を担う可能性があるとする。それが、東京工業大学(東工大)のスパコン「TSUBAME 3.0」である。
TSUBAME 3.0は東工大の第3世代スパコンで、最先端の技術チャレンジに挑むスパコンという位置づけである。システムはSGI(現 HPE)の「ICE XA」で構成されており、2個のXeonプロセッサと4個のNVIDIAのP100 GPUで構成される540台計算ノードを有している。そんなTSUBAME 3.0、そしてその開発の中心的立場として活躍してきた松岡聡 教授について同氏は、「松岡先生にはもっとも強いスケーリング可能なAIマシンを作る、という素晴らしいビジョンがある。TSUBAME 3.0の実現に際しては、一緒になって、求められる性能の実現に向けてハードウェアのデザインを進めてきた(HPE内部では、この計算ノードは松岡ブレードと呼ばれているほどだという)。その目標は、早く、多く学習する、ということ。同じHPE/SGI製であるため、火星探査ミッションが実現されれば、TSUBAME 3.0がSpaceborne Computerの学習エンジンになる可能性がある」と、松岡教授のその卓越した思想に敬意を示すほか、実はSpaceborne ComputerとTSUBAME 3.0は兄弟機であり、そのコンピューティングパワーをそのままSpaceborne Computerに生かすことができるとする。
また同氏は、「TSUBAME 3.0がSpaceborne Computerの学習エンジンになる時、松岡先生はファストランナー、いやファステストランナーとして、リーダーの位置に立ってもらうことになる。Spaceborne ComputerのAIは、学生と同じで、多くの学びが必要となる。学ぶことで、初めて予測が可能になってくる。私としては、松岡先生も、きっと自身がファストランナーであるということには同意してもらえると思っているし、それくらい尊敬の念を抱いている人物だ。まさに、10年後、世界最速のランナーになるためには何がどう必要なのか、ということを考えて行動できる特別な人物だと思っている。そんな松岡先生からの要求はいつも厳しいものだが、逆にそれが我々を奮い立たせてくれる。もし、松岡先生からの帯域と電力効率の両立に対する要求が、そこまで厳しいものでなければ、TSUBAME 3.0は今ほど、素晴らしいものになっていなかったと思っている。そういった意味では、単なるファストランナーではなく、Energy efficiency fast runnerといっても良いかもしれないと思っている」と、松岡教授に対する最大限の賛辞を贈るほか、「かつて演算能力だけであったHPCが、AIと組み合わさることで、正確かつ高速に予測ができるようになる。そうした意味で、松岡先生の居る日本という地域は、これからのAI分野で強みを出せるようになるのではないかと思っている。そして、そういうHPCの活用をHPEが支えていければという気持ちが我々にはある」と、日本そのものが、今後のAI、特に宇宙関連のHPC/AIの活用として良いポジションに位置していることを強調する。
最後に、同氏は、自身のこれからの夢として、「Spaceborne Computerが打ち上がり、稼働を開始する6か月ほど前、このプロジェクトが上手く行くと思っていた人は多くなかった。多くの人は、機能を固定したハードワイヤのコンピュータしか宇宙では活用ができないと思っていた。そうしたコンピュータにAIを搭載することは難しいことは今も変わりがない。しかし、この6か月の間に、我々の目の前には、新たな可能性が見えてきた」と前置きし、「私の今の夢は、それが上手く行くかどうかはわからないがSpaceborne Computerを月に送り届け、稼働させることだ。ISSではちゃんと稼働してくれたが、月はISSよりも条件がさらに過酷になるからだ。ただ、月と火星の条件は似ていると思っており、月で稼動できれば、火星でもきっと長年にわたって活躍してくれると信じている」と語ってくれた。
また、「今回の研究プロジェクトが成功すれば、宇宙でのHPCの活用に向け、いろいろな可能性が出てくると思っている。しかし、その一方で、宇宙に持ち出せる重量と、宇宙で活用できる電力には制限があることも忘れてはいけない」と、宇宙ならではの制約は常に付きまとい続けることにも言及する一方、「Spaceborne Computerの重量は約30kgで、使用可能な電力は1kW。この重量と電力を今後も厳守していく必要があるのか、さらに重量や電力を増したシステムを打ち上げることができるようになるのかは、まだわからない。ただ、今回のSpaceborne Computerシステムは我々の第9世代のシステムで、現在、カタログには第10世代が紹介されているし、今後、第11世代品も登場してくる予定だ。実際にSpaceborne Computerが月に行けることになった時には、重量や電力に変化が無くても、世代は進んでおり、カタログに掲載されている最新世代のものを持っていくことができることが示されつつある」と、地上と同じシステムが宇宙で利用可能であることが示されることが、今回の研究の重要なポイントの1つであることを強調する。
なお、Spaceborne Computerの研究プロジェクトは、まだまだ始まったばかりの取り組みといえる。しかし、その研究から得られる知見は、これから広がる宇宙の新たなる活用に向けた大きな意味を持つものになることには違いがない。こうした研究が行き着く先の未来には、SF映画の金字塔「2001年宇宙の旅」のようなAIを宇宙船の航行に活用する(映画としてはAIの活用にいろいろな意味が含まれることになるわけだが)、といった使い方や、それこそ、マット・デイモン主演の火星に1人取り残されてしまった宇宙飛行士が奮闘する映画「オデッセイ(原題:The Martian)」で、主人公が生き残るためにさまざまな計算を行っていたが、実際の有人火星探査では、そうした計算や機器のコントロールなどをHPCが支援する、といったこともできるようになるに違いない。しかし、忘れてはいけないのは、この研究が、まだ本当にスタートしてからわずか6か月ほどしか経っていない、ということだ。これから、順調とは程遠い、さまざまな課題が出てくる可能性もある。しかし、そうした課題も、半導体産業が、ムーアの法則が限界を迎えるといいつつも、さらに発展を目指して研究を進め、コンピューティング性能を現在でも向上させ続けているのと同じように、人類が飽くなき宇宙への憧憬の念を抱き続け、挑戦を続ける限り、将来、きっと道が切り開かれることだろう。同氏も、「Spaceborne Computerが地上に戻ってきた後は、さまざまな調査結果をNASAに最初に報告する必要があるが、その後は、公開できるものについては公開していきたい」と語っており、そうした知見を元にすることで、意外と近い将来、人類が宇宙でのHPCを当たり前に活用する日が訪れるかもしれない。