さまざまな居住文化が混ざりながらも自然環境と調和していた琉球列島

そして、我々日本人には最もなじみ深い琉球列島(画像39・40)、その先史時代の調査も行われた。同地域の調査においては、連続した陸域環境試料が初めて採取され、広域にわたる気候変動や立地環境を高い精度で復元がされたという。その結果、琉球列島では先史時代にサンゴ礁の成立と共に環境調和型の狩猟採集民が居住していたことが判明したのである。

画像39・40:琉球列島の島々

また、狩猟採集から農耕への変遷が11~12世紀であったことが明らかとなり、少なくともこの時期に大きな環境変動の1つがあった可能性が、今回の調査結果から提示された(画像41)。そして琉球列島の先史時代を「島」という脈絡で検証がなされ結果、世界的にもとても希少な現象が提示されることがわかったというのである。

画像41。奄美・沖縄の編年と本州との比較。グスクの時代に入ると、農耕定住の時代となる

琉球列島は、(1)旧石器時代に現生人類がいた島(画像42~44)、(2)狩猟採集民がいた島、(3)狩猟採集から農耕へ変遷した島、(4)狩猟採集民の社会から国が成立した島、(5)自然と人間が調和していた可能性のある島といった特徴を持つ「奇跡の島々」であったという。

島の環境はデリケートであることから、世界の多くの島では、人間の入植後に環境が劣悪化した例が多い。他地域では人の入植とほぼ同時期に島の環境が破壊され、多くの動植物が絶滅しているのである。しかし、現在のところ先史・原史時代の琉球列島ではそうした証拠がなく、絶滅動物がなかったと考えられるという。自然環境と調和した島の歴史は、自然環境共生型の社会のあり方を現代社会に示しているといえよう。それは、西洋科学文明が追及する「進歩」や市場原理主義とは異なる「真の世界史」の重要な一部分だとした。

画像42(左):湊川フィッシャー遺跡。画像43(中):発掘された港川人の頭骨。画像44(右):沖縄諸島の旧石器時代化石人骨

また、島への植民が比較的「最近」とする理由は、複数の理由があるためだとする。渡会、食料の入手、小集団、人口維持、人口維持のための食糧の確保、島の面積、という問題があるからだとした。なお世界中のほとんどの島は農耕民による植民だそうだ。