スーパーレクチャー 3 邪ニーズ
株式会社人間の花岡洋一氏と山根淳氏は、「利潤の追求、消費者ニーズ=王道」が普通の企業なら、自分たちはそれを多少無視した「邪の道を行く企業=邪企業」だと話す。決して邪悪ではなく、本筋から外れた辺りのおもしろくてへんなことが自分たちの立ち位置であり、実はそこにもニーズがある。ジャニーズのTOKIOで例えるなら城島茂。それを「邪ニーズ」と呼ぶそうだ。この時点ですでに大爆笑なのだが、昨年5月に大阪駅で行われた「世界一展」という展覧会のプロデュースやWEB制作、iPhoneアプリ開発などテクノロジーに関わる真面目なビジネスも「おもしろく」行っている。
王道と比べれば少数だが、王道から外れたニーズ(邪ニーズ)は確かに存在し、それを我々は仕事にしているという花岡氏(左)と山根氏(右) |
イート金沢実行委員長・中島信也氏の頭をスクリーンにしたプレゼンシーン |
スーパーレクチャー 4 努力禁止
「努力しないことの大事さを今日はしたい」と話し始めたのはニフティが運営する人気サイト「デイリーポータルZ」のWEBマスター・林雄司氏だ。2002年から開始し、1日3本「ふざけた記事」を上げているという。現在は月間150万人ぐらいのUU、2,000万以上のPVを稼ぐサイトに成長しているものの、収支は一貫して赤字。「だから今日の話は得をしない」と話す口調の裏には、儲けることが前提ではないけれども、サイト存続を会社側にさせるだけのオリジリティを保ち続けている証左といえよう。林氏は自身が結果として体を張った記事を面白可笑しく紹介し、人気コンテンツを継続的に作り続けていくための3つのDの秘訣を披露した。
「デイリーポータルZ」のWEBマスター・林雄司氏 |
一貫してマイナス収支という珍しいグラフ |
人気記事に共通する3つのD。1つ目はドリーム、夢をかなえるネタ。2つ目は努力しないこと。3つ目はドヤ顔と明かす林氏。とてもふざけているが、結果として「人がやりそうもない努力」をしていることが秘訣のようだ |
スーパーレクチャーのあとは、結成20周年を迎えた明和電機によるスペシャルライブが行われた。イベント開催当時、ちょうど金沢21世紀美術館では「明和電機ナンセンスマシーンズ展」も開催されており、およそ150個の明和電機作品(機械)が金沢の地に運び込まれた。また後半では、スーパーレクチャー講師やイート恒例ゲストクリエイター陣と直接、それこそ顔を突き合わせた距離で意見交換ができる「夜塾」も開催された。毎年これを楽しみに訪れる参加者も多い。
思い出のイート金沢
ところで、Mac Fan編集部が冬の金沢の一大クリエイティブイベントに初参加したのは2011年1月のことだ。金沢市文化ホールでの盛大なオープニングレセプション&ライブコンサートに始まり、翌日は朝から市民芸術村でのこれまた超一級クリエイターを講師陣に招いてのスーパーレクチャー。同夕方からは小一時間ほどバスに揺られて雪深き金沢郊外の湯涌温泉・旅館かなやに場所を移し、講師陣と参加者総勢150余名がゆうに入れる大広間で車座になり、夜どおしクリエイティブについて語り合う夜塾。そして途中、名物の温泉に入りつつ再び夜塾に参戦する。翌朝、旅館を出る頃にはすっかり講師陣も参加者も互いにパワーを分かち合った同士のような晴れ晴れとした顔つきになっていて、「また来年!」とそれぞれの家路についた強烈で刺激的な印象が、編集部の体験したイート金沢だった。 あれから我々の参加は今回で4度目。すっかり癖、いやもとい恒例参加になってしまったわけであるが、このイート金沢自体の開催は今年で実に18回目を数える。18年前といえば古くからのMacユーザならよくご存じのこと、インターネット前夜の1997年、デジタルの世界はCD-ROMやマルチメディアといわれるものがエッジの効かせていた時代だった。
「21世紀はマスメディアのためのプロだけでなく、一人ひとりが表現し発信する時代です。イート金沢は急速に進むデジタルネットワーク社会への移行の中で、かつて加賀百万石の時代に天下の書府とうたわれ、伝統工芸や文化を育んできた金沢市が、21世紀に向けて新たに推進する世界都市構想の一貫として企画開催されるイベントです。毎年、世界からエレクトロニックアートの第一人者を迎えて、専門ジャンルはもちろん、言語や国境を越えてさまざまな人が金沢の地に集い、交流し、新しい創造文化を生むための、新鮮な出会いの場です」こう表現して金沢市とタッグを組み、イート金沢を発起した中心人物が、東京大学名誉教授・浜野保樹氏である。イート金沢だけではなく、日本における情報産業をさまざまな形で強くけん引した有数のメディア工学者だが、その浜野氏が18度目のイート金沢を間近に控える1月3日、永眠された。享年62歳。昨年、小松空港へ向かう帰路のバスを降りる際に、「また来年!」と声をかけてくださったのが浜野先生だった。謹んでご冥福をお祈りします。
(写真・文:小林正明、岡謙治、氷川りそな)