無人機の使い方を誤ってはいけない

しかし、UASに攻撃を受ける側は、本当にSFアクション映画「ターミネーター」における、人工知能スカイネットが人類に反逆した未来世界のような、ただ戦闘というだけでも怖いのに、そこにまた別種の怖さが加わるマシンとの戦いを体験させられることになるわけだ。

こうした技術が、弱者を守るためにやむなく、例えば暴力を振りかざす偏った思想の体制を打倒するといった戦いを支援する形などで行使されるのならまだしも、自分たちの国家が世界の覇権を握るために邪魔な国は潰しておく、その前段階として偵察して情報収集をしておくというような形で行使されないことを祈らずにはいられない。

また、こうした優れた兵器があると、「せっかく高性能な兵器があるんだから、適当に理由を作ってあの国を相手に実践で使ってみようぜ」と、本末転倒な形で戦争を起こす国がないか心配である。特に米国などは、ないものをあるといって戦争を始めたりするので、なおさら心配だ。

戦争が"ゲーム感覚"になることへの懸念

また、安全な後方の基地でUASを遠隔操縦しているパイロットたちが、普通に自宅から出勤して9時~17時で戦闘を行って定時で帰宅という、日常と非日常が1日の内に同居する状況のため、返ってPTSDになるケースが増えているという。そのほか、遠隔操縦でモニタ越しに戦場を見るため、戦争がゲーム感覚になり、気軽に攻撃してしまいやすくなるといった状況も懸念されている。

民間人への誤射を減らせるというのがUASのメリットの1つとされているが、現場で直接対峙していれば敏感にかぎ取れる雰囲気も、高空を飛行するUASからの映像をモニタ越しに見ていたのでは伝わりにくいことが想像に難くなく、ゲーム感覚から「せっかく飛ばしてるんだし、疑わしいからどうせなら攻撃しておくか」的に民間人を誤射しかねない(すでにそうした事故も起きているという話もある)状況は、日本にいれば今のところはないにしても、海外に出たらいつそのような目に遭うかわかったものではない。

米国としては、直接の姿を確認しづらいテロリストという敵と戦争するため、自軍の兵士の人的被害を抑えやすいUASを初めとするロボット兵器を使いたいのはわかるのだが、非対称な形の戦争に潜む危うさが、今回の講演で改めて見えた気がする。

当初、「自衛隊もこれだけ無人機の研究をしているんだ」とか、「中国にはこんな機体があるのか」などと感心していたが、記事をまとめてみて、軍事ジャーナリストでも何でもなく、サイエンスライターである記者だが、何か非常に危ういものを感じているのが正直な気持ちだ。あのコックピットのないデザインのUASたちに対する違和感、もしかしたら恐怖心はどれだけ見てもぬぐい難いものがある。せめて、偵察や情報収集・監視に用いる程度に留めてほしいと思う。