ペルノ・リカール・ジャパンは5月27日、東京都港区の六本木アカデミーヒルズ49にて、「シーバスリーガル18年ゴールドシグネチャー・ビジネスセミナー2013」を開催した。
セミナーでは、「CHIVAS18 Gold Signature Awards 2013 presented by GOETHE 審査員選考部門」を受賞した、エイベックス・グループ・ホールディングス 代表取締役社長 CEOの松浦勝人氏が登壇。創業から約20年で音楽ソフト市場No.1の地位を獲得するに至った同社の歴史を紐解きながら、自身の理念や価値観を紹介した。
本稿では、業界裏話が多数明かされた講演の様子を簡単にご紹介しよう。
ライナーノーツで貸レコード店に行列
松浦氏の実業家としてのキャリアは、日本大学経済学部在学中に創設した株式会社ミニマックスから始まるという。
学生時代に貸レコード店「友&愛」でアルバイトをしていた同氏は、その経営者から共同出資による新会社設立を持ちかけられる。父親から800万円の出資を取り付け、友&愛経営者の出資金800万円と合わせて資本金1600万円でミニマックスを立ち上げた。
ミニマックスでは、貸レコード店「友&愛」の上大岡店を経営する。扱っていたレコードのほとんどはダンスミュージック。半ばそちらの専業店として差別化を図るが、「レコード自体はどこで借りても同じもの。さらなる付加価値を付けなければビジネスとしては成り立たない」(松浦氏)との考えから、仕入れてきたレコードにライナーノーツ(音楽の紹介文)を付けてレンタルをはじめた。
「レコードの見た目はどれもほとんど違いがなく、ラベルにも曲名や作曲者名などの基本情報しか書いてないため、お客さんはどれを借りてよいのか判断しづらい。どんな音楽なのか紹介してあげたら便利だろうと、ライナーノーツを作りはじめた」(松浦氏)
このライナーノーツが会員の支持を得て、上大岡店は圧倒的な売上げをあげる。当時の人気について松浦氏は「店舗は13坪と非常に狭いうえに2階にあった。オープン前はお客さんが来るか心配だったが、オープンして間もなく人でいっぱいになった。あるとき、利用客が途絶えたと思ったら、階段下で大家さんが入場制限していた」と振り返る。
次第に、その人気ぶりを知った友&愛 他店の経営者が偵察に来るようになる。しかし、「当時の貸しレコード店経営者はあくまで経営者でしかなく、ほとんどは音楽に詳しくなかった」(松浦氏)ことから、「良いレコードを仕入れられないし、ライナーノーツがポイントと知っても、それを作ることができなかった」(松浦氏)という。そこで、他店舗からレコードの仕入れも頼まれ、1枚500円のライナーノーツを付けて卸すようになり、大きなビジネスになっていった。
気付いたらレコード会社に
レコード卸し業のような仕事を始めて間もなく、友&愛の他店の店長たちから、新会社設立を持ちかけられたという。
このとき設立されたのがエイベックス・ディー・ディー株式会社。松浦氏はそのときの想いを「自分の会社があったので、別に新会社に参加する必要もなかったが、しつこく誘われたので仕方なくやることにした(笑) 」と回顧した。
当時は、ちょうどレコードからCDに移る過渡期にあり、エイベックス・ディー・ディーでは海外から多くのCDを輸入し、それを貸しレコード店に卸していた。アメリカやイギリスのみならず、ドイツやイタリア、ベルギーなどからも購入。あまりにもたくさんのCDを買うため、「自分でレーベルも持っているのではないかと勘違いされ、販売権の売り込みを受けた」(松浦氏)。
売り込みを受けるうちに、「権利を買ってCDを出してみようという気になった」(松浦氏)という。これがレーベルとしての始まりになる。しかし、「うまくいった前例が1つもなかった」こともあり、周囲から大反対を受けた。「貸しレコード店のメンバーからも、エイベックス・ディー・ディーのメンバーからも絶対にやめろと言われた。それでも若かったからやってしまった(笑)」と勢いに乗って音楽出版事業を始めたことを明かした。