今回は、三者三様、さまざまな事例が紹介され、いずれも密度の濃いプレゼンテーションとなった。終盤は、会場からの質疑応答も含め、多岐に渡る論点が示された。白熱した議論を受け、ディレクターの原と永原の両名は、それぞれこのように総括した。

「新聞のデジタル化によって、紙に潜む情報デザインの叡智が再認識される結果にもなっている。 つまり、初期の電子新聞は、紙の新聞の見えなかった言語や効率を、どんどん掘り起こしているということでしょうね。日々、技術的基盤が刷新されている状態は、さまざまな可能性を模索できる時期」(原)

「同じできごとや事件であっても、それをどう捉えるか、そして、記事をどういうふうに並べて、何を伝えたいのか。それは日経、毎日、朝日でそれぞれ異なります。つまり、コンテンツと同じく、コンテクストも重要だということです。そういう意味では、電子メディアにおけるコンテクストはどうあるべきか。それを積極的に探りつつ、メディアの未来を作っていこうという熱い意気込みを感じましたね」(永原)

日本経済新聞社の山田は「電気が通っていないだけで、紙もデバイスのひとつ」と喝破した。紙、携帯電話、スマートフォン、タブレット型端末、PC。それぞれ特性が異なるだけで、いずれもメディアとしては等価なのだ。

研究会を終えて



永原康史

新聞が「ニュース」でなくなって久しいが、電子メディアによって速報性を取り戻すと考えるのは早計だろう。産業革命がつくった現在の新聞のスタイルを情報技術がどのように変えていくのか。そういう視点から考えると三社の取り組みはとても興味深い。







原研哉

三社三様の話はたいへん参考になりました。海外から帰る際に、機内で「日本の新聞はいかがですか」と手渡されると「情報の毛布」をもらったように温かい気持ちになる。手にすると瞬時に色々なことが脳に飛び込んでくる。この紙の伝達力にも、もう少し冷静に目を凝らしてみたいと改めて思いました。


(写真:弘田充)