家庭用ゲーム機がCG業界を変えた

デジタルハリウッドが開校した当初、他の専門学校からは「CGクリエイターなんて求められていない、働く場所がないんだ」とよく言われていた。当時のCG市場は日本中あわせてもまだ規模が小さく、プレイステーションやセガサターンといった家庭用ゲーム機が発売されても、3DCGのゲームをつくるのは一部大手メーカーだけ。主流は2Dゲームだと考える人が多く、また杉山自身もそう考えていた。しかし、いざ3DCGを使ったゲームが世の中に出ると、コンシューマーは3DCGを用いたゲームを支持するようになり、ゲームソフトの主流も2Dから3DCGで制作されたゲームへとシフトしていった。その状況を見た主要ゲームメーカーは"3DCGじゃないとダメ"と慌て、ゲーム会社から同校に"2カ月間でCGを教えて欲しい"といった依頼が舞い込んできた。

この時期から卒業生の多くが、ゲーム産業に吸い込まれていくようになる。杉山氏曰く、1~5期の生徒は、現在、有名ゲーム会社の製作トップクラスに数多く在籍しており、ゲームの発売時期になると、宣伝も兼ねてデジタルハリウッドでよく講義をしてくれるのだという。

デジタルハリウッド大阪校(左)、福岡校(右)

広がりを見せるデジハリ

その後も、デジタルハリウッドは時代のニーズにあわせて新しい設備やカリキュラムを取り入れていった。1995年頃には、「ゲーム制作にはモーションキャプチャーは欠かせない」、「人間の動きをアニメーターがひとつひとつ作っていると、時間がかかってしょうがない」といった理由からいち早く人間の役者の動きをデジタル情報化してCGに反映するモーションキャプチャースタジオを導入。しかし、この装置は、アクションとアクションの間に手作業でのデータ作成が必要だったり、データの欠落をチェックして人の手で補完しなければならなかったりと、最初の10年ほどは、かえって手間が増えることも多かったという。このモーションキャプチャースタジオは、現在ダイナモ・ピクチャーズという独立した会社となり、デジタルハリウッドの一期生が経営している。まもなくそこが製作に携わったフルCG映画『よなよなペンギン』が公開される。このように近年、デジタルハリウッドを巣立った生徒達の活躍も目立つようになってきている。

デジタルハリウッド大学・秋葉原キャンパス