映像と音楽の制作を等価に手掛け、世界的な注目を集めるアーティスト高木正勝氏。そんな彼が2008年、『Tai Rei Tei Rio(タイ・レイ・タイ・リオ)』という新たなるプロジェクトに挑んだ。この6月には、コンサートの音源を元に制作された新作アルバム(CD+神話集)『Tai Rei Tei Rio』がリリースされ、7月にはプロジェクト全体の模様を納めたドキュメンタリー映画『或る音楽』が公開予定。今、表現者として大切にしていることについて、高木正勝氏にうかがった。

高木正勝
1979年生まれ、京都在住。映像作家/音楽家。オリジナル作品制作だけでなく、デヴィッド・シルヴィアンのワールドツアーへの参加、UAやYUKIのミュージック・ビデオの演出、芸術人類学研究所や理化学研究所との共同制作など、コラボレーション作品も多数。ホームページはこちら

『Tai Rei Tei Rio(タイ・レイ・タイ・リオ)』と『或る音楽』

『Tai Rei Tei Rio』の一貫として行われた、ソロコンサートの音源をもとに制作された新作CD+神話集『Tai Rei Tei Rio』(写真左)が6月17日に発売。価格:3,000円、発売:エピファニーワークス/販売:ブルース・インターアクションズ。本プロジェクトを丁寧に見つめたドキュメンタリーフィルム『或る音楽』(写真右)は、7月4日よりユーロスペース他で順次公開予定。オリジナル作品の『Homicevalo』と『NIHITI』も一緒に上映される。詳細はホームページ/より


音楽が携える本来の役割


――『Tai Rei Tei Rio』という壮大なプロジェクトが、CDと神話集、そしてドキュメンタリー映画『或る音楽』として、発表を控えています。高木さんご自身は一連の作品を今、どのように捉えていますか?

高木正勝(以下、高木)「まず、映画は友久陽志監督の作品です。僕は協力させていただく形を取らせてもらいました。今回の作品は、観て、聴いて下さる方がどう受け取るか全く想像ができません(笑)。もしかしたら、音楽は伝わりづらいものかもしれないという大前提があるかもしれないですね」

――伝わりづらいというのは?

高木「音楽を始めた最初の頃は、人に伝わるかどうかは全く気にも留めず、自分が音楽だと思うものだけを抽出して作っていました。結果として、気に入って下さる方がいて、評価を頂き、実際に聴いてくれる方に接していくうちに、社会が求めているもの、音楽として求められているものがどんどん自分のなかに付随してきたんです」

――求められているものを見極めて作っていた、ということですか?

高木「近頃の作品はそこに特化した表現になっていったという部分がすごくあったんです。そんななか自分や他人の作品を聴いているうちに、"あれ、なんかお腹いっぱいの音楽ばかりだな"って感じるようになって……。そんなことをずっと考えていると、"そもそも音楽ってなんだろう?"という疑問にぶつかった。さらにその疑問を解決しようとすると、音楽が生まれた時代に遡るしかなくて。人が最初に出す音って一体なんだったんだろう、自分だったらどんな音を鳴らすのだろうか。そんなことを2007年ぐらいから考え続けていたときに、ちょうど芸術人類学研究所から、動物(馬)と人間の映像を作ってみませんか? と、『Homicevalo(ホミチェバロ)』のお話をいただいたんです」

ドキュメンタリー映画『或る音楽』より


映像『Homicevalo』の世界観を音で表現


――『Homicevalo』は世界中の神話が語っている「人間と動物の対称的関係」を実際の映像を使って表現する試みということですよね。

高木「最初は、全く予想ができないなと思いました(笑)。イメージはできるんだけども、それに従っていいのかどうかもわからない状態のまま、2007年の夏、3日間、北海道の足寄湖畔でベイヤードという白馬と騎手の大淵靖子さんの撮影を行ったんです。1日目は大淵さんが馬の世話をしている姿とかドキュメンタリーのように撮影していたんですけど、2日目はその撮影スタイルを止めました。普段、自分が旅をする時の撮影感覚に切り替えて、カメラのファインダーに何が撮れているかもわからないまま撮っていくような感覚で。そうしたら馬も反応してくれて。例えば、馬は肉食の天敵から身を守るため、立ったまま眠るのですが、僕たちの前で横になったり。それだけ安心してくれたんですね」

左は、世界中の神話が語っている「馬娘婚姻譚」を参照し、実際の映像をつかって表現した『Homicevalo(ホミチェバロ)』。中沢新一氏が所長を務める芸術人類学研究所と高木氏のコラボレーション作品。右は、『Homicevalo』とあわせて上映される作品『NIHITI』

――神話がとても重要な核になっていますね。

高木「そうです。映像を作る時、色々な神話を読んでみたら、自分の仕立て上げた映像のストーリーにピッタリはまるものがあったんです。自分が作っていたものはまさしくこのようなものだったと納得してしまって。同時に、今の時代に合うような新しい神話も作れたような気がしました。この経験を今度は映像ではなく、音楽でもチャレンジしたいと思いはじめましたね」