その後、SENAC開発、導入時から同センターに関わっていた東北大学名誉教授である野口正一氏や、入社数年後から東北大学のSENAC導入に取り組んできたNEC元支配人、常務理事であり、現在は創価大学名誉教授を務める渡部和氏が、SENAC開発秘話が披露しながら、当時の様子を振り返った。

東北大学名誉教授・野口正一氏

野口正一氏は、「SENAC-1は、なにも文献がない0の状態からスタートした。基本アーキテクチャ、命令セットの設計、浮動小数点、固定演算における数の表現をどうするか、高速演算のための演算器や制御方式をどうするか、そして、記憶装置や入出力装置そのものも当時の日本にはなかった。ILLAICの文献を入手できたことから、これを参照してアーキテクチャを作り、230個の命令セットのほか、議論を重ねた結果、指数部6、数値部32による38ビットという、いまでは不思議な数となった。いまでいうパイプライン制御や先回り制御、時分割共通バス制御などの機能はこのときに作られたもので、現在のコンピュータ設計の基本アーキテクチャとなっている」などとした。

野口氏の講演風景

また、この開発・導入プロジェクトの経験から、「全体を管理するプロジェクトマネージャが不在だったことは問題だった。実は、システム構築において、最も重要な基本要素である電源と配線のレイアウトの設計者が不在で、だれもこれを俯瞰してなかった。あとから電源供給システムを設計し、大変苦労した」としたほか、「いまある産学の共同プロジェクトは、本気ではない。当時は死ぬ気になって、大学と企業が寝食を共にして戦った。月に2回ぐらいミーティングをやる程度では、産学連携が成功するはずがない」と苦言を呈した。

創価大学名誉教授・渡部和氏(NEC元支配人、常務理事)

一方、渡部和氏は、「入社2年目に、上司に内緒で、回路設計に必要とされる数値計算用の演算装置を開発していた。これが、東北大学のパラメトロン方式による世界一の科学技術計算機を作るというプロジェクトによって、理論が採用され、非公式のものから公認プロジェクトになった。1957年からプロジェクトが正式に発足し、NECと東北大学の若手精鋭の先生による開発チームによるアーテキクチャづくりなどの作業は、大変楽しい思い出がある。だが、その後の製造、配線、組立作業は大変なものであった。一度、NECの玉川工場で組みあがり、いよいよ電源を入れようという段階で、会計検査などの事務手続きの都合で、本体を東北大学に設置しなければならないということになり、それを移設。私が現場調整の責任者として、新婚にも関わらず長期間仙台に出張した。ところが、すべてのパラメトロンに対して、電力が十分に供給できないなど、数々の問題が発生し、それから1年は悪戦苦闘の修羅場となった。この苦しい体験はまさに命をかけた経験となった」など、当時の苦労を語った。

さらに、NEC執行役員常務である伊藤行雄氏から「NECのHPCへの取り組み」と題した講演が行われたほか、東北大学サイバーサイエンスセンター・小林広明センター長から、サイバーサイエンスセンターにおける現在の取り組みについて説明が行われた。

また、午後4時から開催された記念セミナーでは、理化学研究所次世代スーパーコンピュータ開発実施本部プロジェクトリーダーである渡辺貞氏による「スーパーコンピュータの技術開発と次世代スーパーコンピュータプロジェクト」と題した講演と、東北大学電気通信研究所教授である中沢正隆氏による「光通信の最前線-光ソリトン伝送におけるスパコンの役割を含めて-」と題した講演がそれぞれ行われた。