プラットフォームの寡占状況の原因は行政にも
――中間取りまとめ案の各レイヤーの中でも、プラットフォーム規制についてはその必要性も含めた論議が行われています。
中間取りまとめ案では、プラットフォーム規制が必要な理由として、ネットワーク外部性が指摘されていますが、ソフトウェアサービスの世界は技術が進化するスピードが速いため、競争力を持ったサービスが長続きしないという極めて厳しい環境にあります。ヤフー、グーグル、ミクシィといったサービスはいまでこそ圧倒的なシェアを誇っていますが、それが何十年も続くといった保証はありません。多くのユーザーを抱えてしまったばかりに小回りのきかなくなったサービスもありますし、プラットフォームをオープンなものにするかどうかは、事業者の戦略によっても変わります。
例えば、iモードに全ての検索エンジンを搭載するかどうかなどは、事業者間の利害の調整が非常に難しいのが現状で、オープン性の確保はなかなか困難です。従って、今回中間取りまとめ案においてプラットフォームとされている事業に関しては、事前規制をしてサービスの創意工夫の芽をつむのではなく、事前規制は最小限にして、基本的には事後規制で行うべきではないでしょうか。経団連が今回賛成していないのも、こうした点に懸念があるからだと思います。
また、これまでの通信・放送の競争状況は、事業を希望する企業同士が競願し、行政がそれを調整して一本化するということを行ってきており、寡占状況は実は行政が作り出してきたという側面があります。非常に多数の事業希望者を一本化して共同出資によって設立されたWOWWOWなど、その過程で誰が明確な事業主体か分からなくなったケースも存在します。また、各種新事業はサービスインに先だって行政主導の実証実験が行われることがしばしばあります。事業者同士が共通の材料をもてるようになるのはいいのですが、「出る杭は打つ」という結果に終わる側面も否定できません。
これからの放送・通信事業に関しては、こうした調整型の実験は行わず原則自由にして、最終的には自己責任という形にしたほうがいいのではないでしょうか。例えば新しい周波数帯が事業者に割り当てられるとき、いままでであれば「この帯域ではこれこれこういうサービスを提供しなさい」とあらかじめ決められていましたが、レイヤー型の法制が徹底されれば、通信方式など伝送インフラの技術的要件については従来通り行政がチェックしますが、その上でどんなサービスを提供するか――通信をするのか放送をするのかといったことは、市場のニーズに応じてサービス事業者が自由に考えれば良いのです。今はもう、IP化によってそれが可能な時代です。
――情報通信法策定は個々の法律の再編・一本化となるわけですが、実務上どんな課題があるのでしょうか?
今回の情報通信法は、放送・通信法制の改編という意味では、1985年の電気通信事業法以来の大再編といえます。その中でも、ネックになるのは、電波法だと思います。同法では、周波数帯域を用途別に割り当てていますが、電波の割り当ては国際間の取り決めなので変えることが困難です。
また、日本はいくら欧米化したといっても、「お上(かみ)意識」が強いのが実情だとは思われませんか。NTTやNHKに対して、特に理由はなくても、漫然と信頼感を抱いている国民は少なくないのではないでしょうか。一度に抜本的な改革を行うのは現実的には難しく、旧来の業界構造を解体するにも、十分に周知期間・移行期間を設け、経過措置法が別途必要となると思います。
真に国民の利益となるシステム構築を
――今回の法改正は非常に重大な問題だと考えられますが、国民的な議論にはなっていないように思います。
先にもお話ししました通り、通信・放送法制はあまりにも専門的な分野で、その全体像を理解している人がほとんどいないからでしょう。国会での立法プロセスにおいても、本当に十分な議論ができる人はそんなに多くないのでは。ですから注意深く見ておかないと、案外に不備を残したまま通過してしまう可能性も考えられます。国民生活に対する影響が直接的には見えにくいのも、議論が盛り上がらない一因です。
また、多くの人が問題視しているコンテンツ規制については、必ずしも行政の意向だけではなく、一部では国民も"共犯関係"になり得ることに気付いておく必要もあると思います。突然「あなたのブログや掲示板が表現規制の対象となります」と言われれば誰もが「それはおかしい」と思うでしょうが、インターネットが関係したショッキングな事件などが発生すると「けしからん、政府は何をやっとるんだ」という世論が巻き起こります。常に冷静な議論が必要と言えるでしょう。
開拓者が自ら電話線を引っ張っていったアメリカとは異なり、戦前から通信・放送が公営事業だった日本では、その法制においては中央政府の力が非常に強いものです。そのため、今回の情報通信法のように、市場主義的な原理を導入しようとすると摩擦が起きるのも仕方ないかもしれません。こうした中で、既得権益のある企業や団体に骨抜きにされず、コンテンツ規制はしないなど、真に国民の利益となるシステムを作れるかが問われているのだと思います。