カシオの耐衝撃ウオッチ「G-SHOCK」がシリーズ累計出荷1億本を突破。カシオ製品のマザー工場ともいえる山形カシオにて、記念式典が行われた。今回はその様子をレポートする。そして、同社時計事業部長 増田裕一氏へのインタビューの模様もお届けしたい。名実ともに世界規模の巨大ブランドへと成長したG-SHOCKへの回顧と展望とは。そして、気になる伊部氏の秘密プロジェクトの続報も……!

G-SHOCK累計出荷1億本を記念したモデルと同型機の「MRG-G1000B-1A4JR」

「常識にとらわれず本質を見つめる」日々が紡いだ、1億本へのストーリー

G-SHOCKの初号機が初めて世に出たのは、1983年のこと。それから約35年の月日を経て、累計出荷数は1億本を突破した。式典のスピーチで、増田氏はG-SHOCKの黎明期を次のように振り返った。

増田氏:「当時、腕時計はその小型化、薄型化を競う時代でした。そんな中で、当時『タフウオッチ』と社内で呼んでいたこの商品は、耐衝撃構造のために大きくて厚みがある。つまり、時代に逆行していたのです。その商品化には社内でも疑問の声が多く聞こえました」

当時、増田氏は、G-SHOCKの企画・コーディネートを担当。開発者の伊部(菊雄氏)やデザイナーの二階堂(隆氏)をはじめ、我々開発のスタッフの思いをどうすれば理解してもらえるかと大変悩んだという。

カシオ計算機 時計事業部 増田裕一氏

増田氏:「色々な壁に立ち向かうたび、『常識にとらわれず本質を見つめる』ことを心がけてきました。『丈夫で壊れない』のは時計の本質です。だから諦めなかったし、諦められなかった。そして、営業部門と粘り強く交渉した結果、1万本という出荷数を何とか取り付けることができました。これで開発スタッフにも顔向けができると、胸をなでおろしたのを覚えています」

「常識にとらわれず本質を見つめる」という視点は、まさしくG-SHOCKのアイデンティティそのものだが、それはそもそも、カシオという会社の企業風土だと増田氏は言う。

増田氏:「常識より本質を見つめて判断・行動した折々のポイント(点)が繋がって線となり、累計出荷1億本に至るストーリーを紡いでくれたのだと思います。そんな企業風土を持つカシオを誇りに思うとともに、それを育んでくれた諸先輩方に感謝したいと思います」

そしてセレモニーは、増田氏による、1億本達成を記念した「MRG G1000B-1A4JR」の最終組付け作業へ。ステージにはオープンクリーンベンチ(左右のファンから空気を吸出し、中央部をクリーンにする)がセットされ、"100,000,000"と刻印された裏ぶたのビスが増田氏の手でしっかりと締められた。なお、この個体は販売されず、記念機として保存される予定だ。

オープンクリーンベンチをセットしたステージに累計出荷1億本記念の「MR-G G1000B-1A4JR」が登場、増田氏が裏ぶたを締め完成させた

そして最後に、山形カシオ代表取締役社長 福士卓氏が登壇、G-SHOCKへの思いを語った。なお、山形カシオはカシオ計算機国内唯一の生産拠点であり、メインドイン・ジャパンを超える「メインドイン・山形」を掲げて高品質生産を行っている。同時に、カシオのマザー工場として海外生産拠点の生産品質の統制も担う。

山形カシオ代表取締役社長 福士卓氏

山形カシオ社屋

来春の竣工に向けて、工事が始まった時計専用工場予定地

MULTI MISSION DRIVEなどの高機能なアナログムーブメントを製造する生産ライン。オートメーション化に加え、人の目による厳しい監視と機器の制御が行われている

山形カシオが誇る「PPL(Premium Production Line)」。高価格ウオッチ専用のラインで、試験に合格したマイスターの手により、精密な組み立てと調整が行われている

福士氏:「1997年、G-SHOCKが大ヒットしました。生産が追い付かず売り場では欠品が出て、販売店の方々にはご迷惑をおかけしました。また、プレミアムが付いたことで、お客様から多くのご意見やご要望もいただいた。さらに、いわゆるブーム的なものが去ってしまうと、今度はバンドや他の消耗品の供給ができない事態を招いてしまうなど、実に様々なことがありました。

しかし、これらの問題をひとつひとつ解決した経験が、現在のG-SHOCKブランドの活性化に繋がり、1億本という想像もできない出荷数を達成できたと思っています。ただ、これもあくまで通過点。今後も生産という立場から、G-SHOCKのさらなる躍進に貢献していきたいと思います」

展示ルームが式典会場に。入り口ではG-SHOCK MANがお出迎え

お祝いの鏡割り。(左から)山形カシオ カシオ事業部長 高橋利也氏、増田氏、福士氏、山形カシオ 製造部長 土田啓一氏

記念撮影のワンシーン。高橋氏、増田氏、福士氏、土田氏

記念品として配られた升