富山で果たす"恩送り"
富山で生まれ、幼少期を当地で過ごしたテラウチマサト氏。故郷である富山への思いを聞いてみると、「国内外から仕事のオファーがある中、富山から声がかかるのを待っていた。永遠の片想いの相手、富山はそんな存在」とはにかんだ。写真展を開催した瑞龍寺は、高岡の開祖、前田利長公の菩提寺。富山県内で唯一、国宝の指定を受けている。「そんな場所で写真展が開催できるなんて、夢のようだった」と。
テラウチマサト氏は富山にいたころ、祖父母から「人様が先。あんたは一番後」と口癖のように言われていたのを、今でもよく思い出すという。「北陸は仏教文化の影響を色濃く受けた土地。富山人の心根には仏教的、哲学的な信条が脈々と存在する」と分析する。
そのころの祖父母の年齢に近付きつつある現在。歳を重ねるごとに、日本古来の"恩送り"という倫理観を強く意識するようになったと語る。「親から受けた恩は、親には返せないかもしれない。でもその分は、子供たちに恩返しする。それが恩送り。伝統文化に関していうと、先代から受け継いだものをいかにピカピカに磨いて後世に引き継ぐか、ということですね」(テラウチマサト氏)。
ところで、富士山が世界文化遺産に登録されたのは2013年7月のこと。この前年、テラウチマサト氏はパリのユネスコ本部に招聘され、当地で富士山を題材にした作品展を開催している。その際、ユネスコの事務局長 イリナ・ボコヴァ氏に「葛飾北斎が浮世絵に描いた富士山が、現在もアーティストの作品の題材になっているんですね」と驚かれたという。「富士山は、大昔から現代に至るまで日本人に崇拝されてきた特別な山。そのことを分かってもらえた。これも言ってみれば、葛飾北斎の時代からの恩送り。富士山がユネスコの世界文化遺産に登録されたのは、江戸時代の人たちの功績でもあるんです」(テラウチマサト氏)。
その恩送りの想いを、富山で果たす機会を得た。「瑞龍寺を撮るのであれば、瑞龍寺の発展とともに育ってきた、伝統工芸を今も受け継ぐ高岡の職人たちと一緒に撮りたかった。今という時代の襷(たすき)を次の世代に渡していくことが、私たちの大きな役割。今回の写真展を通じて、恩送りを表現できたのではないかと思う」(テラウチマサト氏)。氏の熱い想いが込められた写真展「受け継がれていく高岡の心」は、訪れた多くの人の心に響いたことだろう。
瑞龍寺のライトアップ
瑞龍寺のライトアップは、瑞龍寺ライトアップ実行委員会によるもの。瑞龍寺では観光シーズンに合わせて年数回、光と音楽による幻想的な演出を行っている。今夏のライトアップは8月8日と9日に実施された。緑から青、紫、赤へと変化してゆく瑞龍寺の仏殿。境内には足を止め、暑さも忘れて演出に見入る参拝客の姿が随所で見られた。
なお、筆者が訪れた8月7日から9日にかけて、富山市内では「第55回 富山まつり」が開催されていた。富山城址大通りを、踊り子が列をなして舞い踊る「よさこいとやま」に「越中おわら踊り」。老いも若きも一緒になって踊りを披露するその姿に、世代を超えて受け継がれる伝統文化の尊さを改めて感じた。
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