ウルトラを受け継ぐ者として
――最初は女優として、そして今ではコーディネーターとして、すっかりウルトラを受け継ぐお立場になられたといった印象を受けますが、そのキッカケはどのようなものだったんでしょう?
「飯島監督が『ウルトラマン』のその後の世界を描いた映画をお撮りになるというので、"フジ・アキコはやはり桜井さんしかいないので、(桜井さんが)出ないんだったら書かない"って言われて。そして、それを伝えに来られたのがウルトラマンシリーズで監督を務められた満田かずほさん。そのときは、完全に女優業から身を引いてたんですけど、"これは断れない"と(笑)」
――女優のお仕事から退いておられた時期がおありだったんですね
「14年間のブランクがあったので、作品に入るにはメディアの出演に慣れる必要がありました。それで、前からの知り合いのプロデューサーに声を掛けて頂き『午後は○○おもいッきりテレビ』という番組に出させていただいて。そしたら、半年くらいした頃に(飯島監督の)映画が中止になっちゃったんです。でも、だからといって番組の方をお断りすることもできないので、そのまま10年間くらい出させていただいて」
――その後、『ウルトラマンゼアス』にご出演される……
「ウルトラに関しては『ゼアス』が復帰した最初の作品でした。その記者発表のときに、科特隊のメンバーが全員がそろったんです。キャップ(小林昭二さん)に"お前が戻ってきてくれてうれしいよ。今までコマーシャルの話とかがあっても、ヒロインがいないので実現しなかったらしいぞ。これからは、お前、断るなよ"と(笑)。ですが、その直後にキャップが亡くなってしまったんです。なんか、運命的だなと思いますね」
――1996年のことですね。そのとき、キャップから受け継がれたものはおありだったんでしょうか?
「ウルトラの方向性とか、こうあるべきだみたいなことを製作発表会の最中に私の後ろで、キャップと蝮さんが二人でベラベラしゃべってて、そのときは"ホントにうるさいな"と思ったんですが(笑)。でも今となってはそれを全部聞けたのは良かったです。それが(結果的に)遺言になりましたね。キャップが言っていたこと、ウルトラに関する方向性、こうやってほしい、こっちの道に行ってほしい、といった話が今の私の道しるべにもなっています」
――さらに、桜井さんがキャップから受け継がれたように、それをバトンタッチなさってもいかれる……
「『特撮博物館』とか、庵野秀明さんや樋口真嗣さんたちが自分たちのものにして、何十万人も動員する素晴らしいものになりましたね。今の自分が何ができるか、カッコよく言えば、ウルトラに関してはある程度きちっと"これは、よくやったよね"って言えるものを出さないと、『女の子』じゃないなと思って、がんばってます(笑)」
――今日は、大変貴重なお話を本当にどうもありがとうございました