――さて、今回のアルバムですが、製作にはどれくらいかかりましたか?
「まず10月末に写真撮影をしたのが最初ですね」
――ということはこのジャケットの写真は10月末の豊島園ですね
「はい、そうです。ジャケットを撮ってから、作曲家の菊田大介君と一緒に曲作りをはじめたので、だいたい3カ月位ですね。表題曲の『メリー! メリーゴーランド』がカタチになるまでかなり時間がかかりまして、ギリギリまで『ああでもない、こうでもない』とやりあいながらの製作になりました。でも最終的には、メルヘンでファンタジーな可愛い曲に仕上がったので、頑張って作ってよかったなって、衝突しながら作ってよかったなって思っています(笑)」
――どういうところで衝突がありましたか?
「最初に私が、こういうイメージで、こういう楽曲にしたいというものを、デモ曲のような感じで作って、アレンジはこういう感じで、メロディラインや構成はこういう感じにしたい、といったことを菊田君と2人で打ち合わせたんですよ。それで菊田君が『わかった』といって曲を作ってくるのですが、それを聴いてみると、『わかってないじゃないか!』みたいな感じになりまして……」
――なかなかイメージが合わなかったということですね
「基本的に製作を行っているのは私と同じ会社のElements Gardenで、菊田君もそのメンバーなのですが、Elements Gardenの作家全員にも聴かせて、みんなで意見を言い合いながら、曲作りを進めていくんですよ。私のアルバムの表題曲は、私ももちろんそうですが、メンバー内でも結構思い入れがありまして……。実は、Elements Gardenのメンバーが25歳のときに必ず私のアルバムの表題曲を手掛けるというのが慣習みたいになっていまして、今年は菊田君が25歳なので、その順番が回ってきたわけですよ。これまでに担当したメンバーも、みんなそのときの100%以上の力を出して、自分の新しい面だったり、今後のカラーだったりを築きあげる、いわばチャレンジの場所のように私のアルバムの表題曲がなっているので、みんなそこは容赦なく、妥協せずに意見をぶつけてくるんですよ」
――つまり、アルバムの表題曲は、佐藤さんとElements Gardenによる集大成といってよいのでしょうか?
「今回の場合、菊田君にとっては特にそういう形になると思います。これまで、私のアルバムの表題曲は、シリアスな曲が多かったんですよ。それが今回のアルバムは明るい感じにしましょうっていうことになり、これまでの流れとは違う感じなったので、そのあたりで非常に菊田君は悩んだっていってましたね」
――今回のアルバムで一番難産だったのはやはり表題曲ですか?
「それはもう、表題曲がズバ抜けて難産でしたね。実は、レコーディング当日まで、カラオケができていなくて、レコーディングの現場で初めて聴いたんですよ(笑)。歌詞を書くために、メロディラインと仮アレンジの楽曲をいただいていたので、自分なりに準備はできていたのですが、さすがにレコーディング当日までカラオケができあがっていないというのは、長く仕事をしてますが、初めてのことでしたね」
――それはかなり大変な状況ですね
「さすがに私も怒りましたね。すっごいおかんむりでした(笑)。それ以前から『これはもう間に合わないんじゃないか』みたいな感じはあったのですが、菊田君が頑張るって言っていたので、信じて待っていたんですよ。とにかく『メリー! メリーゴーランド』では生みの苦しみを味わいましたね。ほかの曲に関しては、苦しみの中にも楽しさがあるので、忘れてしまうんですけど、『メリー! メリーゴーランド』は本当に大変でした。私自身にはイメージがあったので、歌詞などはすんなりと書けたんですけど、とにかく菊田君が可哀相で……」
――可哀相にさせているのは、実は佐藤さんですよね(笑)
「そうなんですよね(笑)。だから『もう降りてもいいよ、無理しなくてもいいよ』っていうのもあったのですが……」
――25歳ですしね
「そうですよね。これまでもみんなが乗り越えてきたところですから。でも、菊田君が自分でやるって手を挙げたんですよ」
――25歳ですから、手を挙げざるをえないでしょう
「4枚目のアルバムのときは自分で作曲して、アレンジをそのとき25歳だった藤間君にやってもらったんですよ。今回の『メリー! メリーゴーランド』も、私が曲を書こうかって言ったのですが、菊田君が『いや僕が書きます』って言ったので、『よし、じゃあやってもらいましょう』って話になったんですよ」
――そういった苦労の末にできあがった曲に対する佐藤さんの率直な感想はいかがですか?
「明るくて、可愛くて、歌いやすい曲だなって思いました。私が歌っているのを見て、こういうお仕事もいいなって思ってくれた人がこれまでにもいると思うし、これからもそう思ってもらえる人間でありたいと思っているんですよ。そういう人たちが夢を持てるような歌を作りたかったし、それとは関係なく、とにかく元気になれる曲を作りたかったのですが、そういった点では非常に満足しています。難産でしたけど、"終わり良ければすべて良し"ということで(笑)。間に合わなかったわけではなくて、本当にいい曲に仕上がったので良かったです。2月4日に発売できるかどうかっていいうくらいギリギリだったんですよ本当に」