特に否定的な人から「“ベタ”“安易”で感情移入できない」などと言われてきたが、2010年代後半あたりから視聴者の視聴習慣が変わったことで息を吹き返した。スマホやタブレットを見ながら、ゲームをしながら、家事をしながらなどの“ながら見”が普通のこととして定着。ドラマを見ることへの集中力や理解力が下がり、制作サイドは複雑な関係性を描いて訴求することが難しくなった。
もちろん集中力や理解力が高い視聴者も多く、SNSで積極的に発信している人もいる。しかし、民放各局が求める「視聴率や配信再生数を上げるためには人物相関図を単純化したほうがいい」という意識の作り手が多いのも確かだ。
現在の視聴者は親子に限らず、恋人やライバルなどの関係性においても、「2対1や三角関係よりも1対1のほうが分かりやすく感情移入できる」という人が多数派。今冬の“ひとり親”に病死か毒親という、分かりやすく感情移入しやすい設定が採用されていることが、それを裏付けている。
加えて、主人公の雨が“ひとり親”を超えて祖母・雪乃(余貴美子)に育てられた『君が心をくれたから』ような、さらに涙を誘う分かりやすい設定も少なくない。また、『厨房のありす』はゲイの“ひとり親”という誰もが「出生の謎があるのだろう」と気づく設定を採用しているが、これも分かりやすさ優先の一例だろう。
局を超えて人物相関図の単純化が進んでいると感じさせられるのは、冒頭にあげた『君が心をくれたから』『春になったら』『Eye Love You』『ジャンヌの裁き』『不適切にもほどがある!』『厨房のありす』『さよならマエストロ』の7作すべてオリジナルであること。「原作の小説や漫画がそうだから“ひとり親”にした」のではなく、「あえて“ひとり親”を選択した」という様子がうかがえる。
これは裏を返せば、「ドラマは小説や漫画より単純化した設定でなければ視聴率や配信再生数が得られづらい」という制作サイドの見立てによるものではないか。
キャスティング難航や経費削減も
さらに、一部のドラマ制作スタッフから「人物相関図の単純化はキャスティングの難しさもある」という声も聞いた。基本的に主人公の親や配偶者には、それなりに知名度のある俳優をキャスティングしたいところだが、ここ約2年間のドラマ枠急増やスケジュールの前倒しによって、希望通りにいかないケースが増えている。
それならば「最初から“ひとり親”の設定にしておこう」と考えるのは自然な流れだろう。例えば、「スポット出演ならOK」「写真だけの登場ならOK」などの形で多忙な俳優たちを起用できる。
また、もう1つ難しさをあげると、「制作費の削減」という要素も見逃せない。「主人公の親や配偶者という重要なポジションに起用する俳優の報酬を1人分カットできる」ことは確かだ。制作サイドは「どこにどれだけお金を使うか」の取捨選択を迫られ、それが主要キャストにも及んでいる。
ここまで挙げてきたように、公私を問わず現代人のやることが増えた今、ドラマに対する集中力の低下は避けづらく、加えてキャスティングの難しさや予算削減の意味合いなどもあって人物相関図は単純化している。その1つが“ひとり親”という設定なのかもしれない。