「タモリという稀代のタレントを保つ」という意味でも、『タモリ倶楽部』の存在意義は大きかった。同じ82年10月に始まった『笑っていいとも!』(フジテレビ)は、必然的に明るく元気なムードの昼番組。加えて放送が進むにつれて、国民的番組というメジャーな存在になったことで、タモリのステイタスが最高峰まで浮上した。
しかし、もともとタモリは“密室芸”と言われるシュールやブラックな芸風で知られていただけに、『いいとも』のイメージやステイタスは真逆のベクトル。すでに業界人たちを中心に面白さを絶賛されていたため、「芸風が変わってしまうのではないか」と危惧する声があった。
その意味で90年代の『タモリ倶楽部』にはタモリの芸風を保ち、それを楽しんでもらう番組という位置付けがあったのは確かだ。つまり、タモリにとって両輪が必要であり、『タモリ倶楽部』あってこその『笑っていいとも!』だったように見える。
さらに、いつからかタモリがシュールやブラックな芸風を見せるシーンが減り、ゆるさや適当さが際立っていく。タモリの振る舞いは、「この番組は別に笑いを取ろうとしなくてもいいんじゃないの」と感じさせるほどだった。多くを語りたがらないが、タモリにとって『タモリ倶楽部』は今で言う“ガス抜き”の要素がある番組だったのではないか。
最終回のタモリは実に楽しそうで、「これほどボケまくるタモリを見るのは久しぶりかもしれない」と感じさせた。また、2週前に放送された「ドクターイエロー初乗車」のときも、タモリは子どものように大はしゃぎ。これらの企画はスタッフからタモリに向けられた40年分のねぎらいだったのかもしれない。
タモリは『笑っていいとも!』の32年半を「明日もまた見てくれるかな?」という普段通りのフレーズで締めくくったが、“通常運転”は『タモリ倶楽部』でも同様。オープニングで「毎度おなじみ流浪の番組『タモリ倶楽部』でございます」というフレーズを貫き、最後も短く感謝の言葉を述べるのみだった。
これは、「『笑っていいとも!』が終わっても、『タモリ倶楽部』が終わっても、タモリ自身は何も変わらない」ということではないか。
■特番編成や再放送をしないからこそ伝説に
テレビ朝日は番組終了の理由を、「(放送40年の節目を超えて)番組としての役割は十分に果たしたということで、総合的に判断した」となどと明かしていた。ただ、深夜帯の放送であり、『徹子の部屋』と並ぶ局の看板であるなど、限りなく聖域に近かった番組だけに、まだまだ続けることもできたはずだ。
もっと言えば、テレビ朝日が『ミュージックステーション』『タモリステーション』の両番組を任せるなど、現在も重要人物であるタモリの意向を軽視することはあり得ない。両者が話し合った上で「40年の節目」という穏便なタイミングで着地させたとみるのが自然だろう。
ネット上には「また特番で見たい」「再放送してほしい」などの声も見られるが、タモリの人柄を踏まえると実現は考えづらい。これほど惜しまれて最終回を迎えたからこそ、特番化や再放送をせずに終わらせたほうが「伝説の番組」「やはりタモリはすごい」と語り継がれていくのではないか。
ともあれ、「金曜深夜に当然のように放送されていた番組がなくなる」ことが、テレビ朝日のみならずテレビ業界の損失であることは間違いない。現在、民放各局は深夜帯でさまざまな企画を試し、ヒットを模索しているが、『タモリ倶楽部』のような時代を先取りした番組の誕生が求められている。