テレビ朝日系バラエティ番組『タモリ倶楽部』が、3月31日深夜に40年半という長い歴史に幕を下ろした。最終回は今年最高の視聴率(個人2.2%、世帯4.3% ※ビデオリサーチ調べ・関東地区)を記録したほか、放送前からTwitterのトレンドワードになるなど、その終了を惜しむ声が今なおあがっている。
ここまで大きな反響を呼んだ“毎度おなじみ流浪の番組”は、結局何がすごかったのか。テレビ解説者の木村隆志が、改めて掘り下げていく。
■ようやく時代が番組に追いついた
最終回の放送でも、『タモリ倶楽部』らしさは貫かれていた。長い歴史を振り返るような構成も、涙を誘うような演出も一切なし。タモリが自宅リビングにいるようなテンションで料理を作るだけの“ゆるい”企画が採用され、しかも「収録のペース配分を間違えて3品の予定が2品のみで終えてしまう」という“適当さ”を見せ、ヘラヘラ笑ったまま約40年の幕を下ろした。
このゆるさや適当さの一般化こそ、『タモリ倶楽部』が果たした重要な役割の1つ。各局の深夜帯と言えば、今も昔も「若さや勢い」「トガっていて刺激的」な番組が人気を博し、逆にそれらがなければ「深夜番組なのに物足りない」とすら言われることもあった。
『タモリ倶楽部』が放送されていた、休日が始まる金曜夜ならなおのこと。だからこそ構成・演出がゆるく適当なこの番組は、番組表の中で異彩を放っていた。そのため、当初は「好き」より「嫌い」という声も少なくなかったが、放送期間が長くなるほど共感の声がジワジワと増えていく。さらに、そのゆるさや適当さは他番組にも広がり、ゴールデン・プライム帯の番組にすら影響を及ぼした。
また、「マニア」や「オタク」に対する世間の見方を変えたことも、『タモリ倶楽部』の功績だろう。サブカルチャーという言葉や概念を一般に広めたほか、中には「サブカルチャーとすら言いづらいマニアックな切り口」の企画も少なくなかった。
世の中のムードがイケイケだった80年代やエンタメの熱気が爆発した90年代も、あるいは「知的好奇心を探求することがカッコイイ」とされた頃も、そんなムードは不変。世間の風潮を気にせず、マンホールやペン回しなどの「どうでもいいこと」にスポットを当て続けていた。
1つ1つのカルチャーに貴賤(きせん)はないし、メインとサブの境界線はあいまいでいい。オーバーグラウンドもアンダーグラウンドも同じようなもの。区別せず線を引かず、「誰でも好きなものを普通に楽しめばいいんじゃないの?」というスタンスを浸透させた。これは個人の尊重や多様性を重んじる現在の風潮とシンクロする。
裏を返せば、そんなスタンスが浸透したことこそ「『タモリ倶楽部』が役割を終えた」という終了理由の1つなのかもしれない。老若男女を問わず、「マニア」や「オタク」が自由に存在感を示すことができるようになった今、ようやく「時代が番組に追いついた」という感すらある。