注目を集めるテレビ番組のディレクター、プロデューサー、放送作家、脚本家たちを、プロフェッショナルとしての尊敬の念を込めて“テレビ屋”と呼び、作り手の素顔を通して、番組の面白さを探っていく連載インタビュー「テレビ屋の声」。今回の“テレビ屋”は、『MUSIC FAIR』『FNS歌謡祭』(フジテレビ)の演出を担当する共同テレビの松永健太郎氏だ。
制作者としてのキャリアをスタートした『SMAP×SMAP(スマスマ)』を原点に、テレビ番組のみならず、大物アーティストのライブDVDやミュージックビデオ(MV)の演出も手がける同氏。活動が多岐にわたる中でも、「テレビの音楽番組」に意地を持って取り組んでいると語る――。
■ディレクターデビューは忌野清志郎さんの復帰回
――当連載に前回登場した『水曜日のダウンタウン』『さんまのお笑い向上委員会』の池田哲也さんが、松永さんについて「ADの頃、松永さんは『スマスマ』で、僕は『めちゃイケ(めちゃ×イケてるッ!)』をやっていて、いつも「眠いっすねえー」とか言いながらタバコを吸っていた仲です」とおっしゃっていました。
池田とは元々、同じ制作会社からフジテレビに出向していました。僕は『スマスマ』チーム、池田は『めちゃイケ』チームとお互い全然違う班であるけれども、どちらもかなりタフな現場だったので、勝手に親近感を持っていました(笑)。直接、仕事をした経験はほぼないのですが、そういうこともあって、頑張ってる後輩という意識でしたね。
その後、不思議なことに全く違う班でありながら、『めちゃイケ』の(総監督・片岡)飛鳥さんに声をかけていただいて、少しお手伝いさせていただいたり。
――『めちゃイケ』では、どんな企画に携わっていたのですか?
SMAPさんの『27時間テレビ』(2014年)で45分ノンストップライブを演出したんですけど、その翌年の『めちゃイケ』の『27時間テレビ』で岡村(隆史)さんがノンストップライブをやるときに撮影面での演出をさせてもらったり、最後のオファーシリーズの三浦大知さんのライブ部分の画を撮るというときに、飛鳥さんに声をかけてもらいました。
――『スマスマ』が最初にご担当された番組ですか?
そうです。2000年で、シングルで言うと「らいおんハート」が出る前くらいに入りました。末端のADからチーフAD、そしてディレクターになって、2016年に終了するまで担当していました。
――松永さんは歌パートに特化して担当していたのですか?
ADのときは歌もコントも「ビストロSMAP」も企画モノも、それと年に2回くらい生放送もあって、わりとオールジャンルでやってましたね。ディレクターになって歌以外に5人の企画モノとかバラエティーコーナーもたまに担当してたんですけど、コントみたいなコーナーはあまり向いてなかった気がします(笑)。鈴木おさむさん、石原健次さん、大井洋一さんというそうそうたる作家さんたちが考えることに追いつかないし、どこかで自信持てず、ここでは一番になれないなと思いました。
歌が好きだったこともあって、自然と歌を撮ることがメインになっていきました。音楽を撮る喜びと楽しさを教えてくれたプロデューサーの黒木(彰一)さんと、撮り方や構図を教えてくれた板谷(栄司)さん(『僕らの音楽』演出)が師匠だと思っているのですが、板谷さんが番組を離れてからは、1人でずっと歌コーナーを毎週担当していましたね。
――最初に担当されたのは、どなたがゲストのときですか?
忘れもしない、忌野清志郎さんがディレクターとしてのデビュー回でした。黒木さんが大の清志郎さんファンで、僕も清志郎さんが好きなのを知っていて、粋な計らいでやらせてもらったんですけど、ご病気から復帰されて一発目のときで、「雨あがりの夜空に」と「毎日がブランニューデイ」を歌ってもらいました。「デビュー作だから、お金かけてもいいよ」と言ってもらって好きにセットを発注して、清志郎さんのマントショーで始まって、SMAPさんとみんなで行進しながら入ってくるという感じで。舞い上がっててあんまり覚えてないんですけど(笑)
その時のエンドトークで、SMAPの皆さんが清志郎さんに「今日は健太郎のデビュー作なんですよ」と話してくれたのは、うれしくてすごく覚えています。それがご縁で、清志郎さんの『完全復活祭』と『ブルーノートブルース』という最後になってしまったライブDVDの2作品をやらせてもらいました。
――それから多くの歌収録を担当されたと思いますが、特に印象深いのは何でしょうか?
全シングル50曲のノンストップメドレーとか、先ほど言った『27時間テレビ』のノンストップメドレーですね。『27時間』は、生放送一発でカット割りして全部撮るというのと、フィナーレの前だったのでそれまでの疲れとか、いろんなことが積み重なっての想像を超えたカタルシスがあったので、よく覚えています。『27時間』なので27曲やろうとなって、ファンが喜んでくれそうな選曲をメンバーと相談して決めていったんですけど、黒木さんが「お金はいくらかけてもいい」という感じだったので(笑)、今考えたら信じられないですけど、屋外の更地にゼロからセットを建て込んで、結構お金はかかっちゃったと思います。
――リハーサルは何回もできないですよね。
全体で合わせるのは5~6回くらいでしたかね。SMAPのメンバーって皆さん、振りを思い出すのも、つなぎで新しく作ったパートも覚えるのも尋常ではないくらい速いんですよ。
すごかったのが、ノンストップメドレーの直前に暴風雨になって、これはもう屋外じゃできないという感じになったんですよ。ライブの前になったら奇跡的に雨が止んで、虹がかかったんです。本当に全てが神がかっていて5人のパワーはもうすごいなあと思って。
■急に「3曲やりたい!」と言いだしたレディー・ガガ
――『スマスマ』には、海外のアーティストもよく出ていました。
レディー・ガガ、ジャスティン・ビーバー、アリアナ・グランデ、テイラー・スウィフト……しびれる仕事でしたけど、すごく楽しかったですね。
レディー・ガガは、黒木さんが呼びたいと言って動き出したんです。最初はメールでやり取りしても箸にも棒にもかからないので、グラミー賞を勉強がてら見に連れて行ってもらったときに、「Born This Way」を歌うスタジオセットの模型を、デザイナーの鈴木賢太さんに3パターン作ってもらって、黒木さんも熱意を見せに「これ持ってLAいこうよ!」と言って手荷物で持っていって、グラミー賞の別日にプレゼンしに行ったんですよ。そしたらオファーを受けてくれたんです。
――熱意が伝わったんですね。
そうなんです。ただ、最初は「Born This Way」1曲だという話だったのに、来日したら「3曲やりたい!」って言いだして(笑)。急いでカット割りを用意して、セットは1曲しか想定してなかったんですけど、ガガサイドもクリエイティブがすごいので、「手のひらのセットにピアノがあるから、ここで『You and I』を弾き語りでやろう」とか提案して、スマスマバージョンに歌詞を変えてアドリブで歌ってくれたり。お神輿に乗って出てくるという僕がやりたかった演出もやってくれて、1回リハーサルしてみたらプレビュー中からガガも「フォ~!!」って喜んでくれて(笑)、その後は番組に対して「出たい!」と言ってくれるようになりました。
――番組が終了する直前にも出てくれましたもんね。
そうですね、黒木さんを含め、SMAPと『スマスマ』への愛情があったんだと思います。
――マイケル・ジャクソンが出たときも印象に残っています。
あれはチーフADのときで、マイケルがなかなかTMC(砧スタジオ)に来ないのでSMAPさんを待たせちゃったんですけど、「今、マイケルがセタドー(世田谷通り)入ったぞ!」とか良く分かんない連絡が来て(笑)
ほかにも、ジェームス・ブラウンとか、アース・ウィンド・アンド・ファイアーとか、キャロル・キングとか、コールドプレイとかも来て、そういう海外アーティストの出演をまとめたVTRを作っておくと、次の出演交渉のときに「これだけの人が出てるんだ」と分かって、また別の大物アーティストが出てくれるんですよ。「ビストロ」には、ブラッド・ピット、(クエンティン・)タランティーノ、キャメロン・ディアスとか、本当に会えない人にいっぱい会えましたね。今は予算やコロナの問題もありますけど、SMAP×BTSとか、SMAP×ビリー・アイリッシュとか、見てみたかったですね。