――独立されてから2年が経ちましたが、活動の幅がより広がって感じたことはありますか?
僕はテレビを100%支えていきたいと思っていますし、テレビに対する愛情は人並み以上にあるつもりでいるんですけど、一方でインフラとしての「テレビ」というのが「コンテンツ」という概念でくくられるようになってしまうと、その中の1つとしてあやふやになってきますよね。テレビで見るか、配信で見るか。テレビにはBSもCSもあるし、配信にも、YouTubeがあればNetflixもあればAmazonもあってABEMAもある。最近、『ラフ&ピース マザー』っていう教育プラットフォームもやってるんですけど、ネット経由の教育番組を作ればいいと思って受けたらとんでもなくて! タッチパネル前提で何でもできちゃうので、例えばプログラミングを学んで、ARでドローンを飛ばして、空間認識で壁にぶつかったら爆発するとか、もはやゲームのようなものになっているんですよ。描いた絵が立ち上がって勝手に踊りだして、GPSの位置情報をつなげば公園で踊らせるなんてこともできる。このように技術が進んでいるので、僕みたいなプログラミングが全く分からない人間でも、そういうコンテンツの制作にどんどん簡単にアクセスできるようになってきてるから、それが「面白い」と思ったらできちゃうんですよ。
こういう状況になったときに、テレビ局がコンテンツの作り手を囲い込んで、テレビ番組だけを作るというのが、果たして良いことなのか。僕もフジテレビにいたときは、基本的にフジの地上波の番組しか作ることができなかったし、もっと言ったらフジの地上波の企画を編成に出して通らなかったら、そのアイデアはそこで死んでしまう。企画が通るかって、面白いかだけじゃなくて、枠の状況や営業的な事情もありますし。だから、地上波の番組を作るために人を囲い込んでおくよりも、今の僕みたいに何でも作れる状況にしたほうが、すごく合理的だと思いますね。
数十年にわたって、“人を楽しませる”ということの人材育成を体系的できるシステムって、テレビにしかなかったと思うんです。そういう人材がいっぱいいて、自由な発想ができる技術的なアクセスがどんどん簡単にできる時代に、テレビ番組だけを作るっていうのは、あんまり合理的じゃない。その点、僕は会社を離れることによって、合理的に立ち回れるようになったというのはありますね。僕の身の上に起きていることって、テレビの制作者にこれから起こっていくことだと思うんです。
――局を退社され、メディアをまたいで活動されているという方の話も最近は聞きます。
そうですよね。それと、実はデジタル系のコンテンツって、まだ全然使いこなせてないんですよ。映像コンテンツって教育にすごく向いていて、今までの教育番組だったら例えば「1+2=」っていう画面を出して、「正解は3です」と言ったら「じゃあ次に行くよー」となって、できなかった子が置き去りになっていた。でもインタラクティブになれば、できなかった子は「もう1回やってみる」というボタンをタップしてチャレンジできるし、「ヒント」というボタンをタップすれば「みかんが1個とりんごが2個」という画面が出てきて理解できる。こういうふうに、タッチパネルを使うと自分の視聴体験がカスタマイズできるんだけど、それによってどういうエンタテイメントが作れるのかというところって、まだ全然掘られてないんです。
タッチパネルの技術なんてもう何年も前からあるのに、デジタルのエンタテイメントって、ゲームに特化したところは進化しているけど、そうじゃないところはまだまだ開発の余地がある。しかも、テレビよりスマホやタブレットをいじる時代になってきたときに、これまでテレビ制作をしてきた人ができる仕事はきっと山ほどあると思います。
■どのコンテンツも「面白いことを考える」のは同じ
――放送作家さんはもともとフリーですから、テレビ以外にどんどん仕事を広げていますよね。高須(光聖)さんも今、テレビの仕事は60%くらいと言っていました。
そうなっていきますよね。以前はテレビ以外の仕事はマネタイズがうまくいかないっていうのがあったけど、最近はそうでもなくなってきましたから。
――テレ東の佐久間(宣行)さんも独立されましたし。
コンテンツ流通の川上に立てるチャンスですから、みんな制作者として頑張ってほしいですね。僕はほどほどで良くて(笑)、頂いた仕事をやらせていただける良い環境にあるので、ガツガツ行く人にはガツガツ行ってほしいなと思います。でも、テレビを支えないといけないという思いもあります。そこは踏ん張りどころだなと思いますね。
――テレビとその他の仕事の割合は、今どれくらいですか?
半々くらいですね。でもやることは一緒なんで、実はそんなに違いは意識してないんですよ。GPSを使ってコンテンツを作るのもテレビ番組を作るのも、「面白いことを考える」という意味では一緒ですから。
例えば今、歴史上の場所を現在の位置で特定するっていう番組をやりたいんです。前に『27時間テレビ』の中でパイロット的にやったんですけど、現代のバックグラウンドの中には、日本人の思い出が道端に転がってるんですよね。あの歴史上の出来事が、意外にもこんなところであったんだよっていうのを見せていく企画なんですけど、これが番組という形で成立しなくても、勝海舟と西郷隆盛が会談した場所を特定して、そこに再現する役者さんを連れてくるまでは番組とやることは同じで、それを多視点のカメラで撮って、そのデータをGPSに貼り付けて地図上でそこに行けば、歴史絵巻のようなイメージで勝海舟と西郷隆盛の間に入れるという状況だって作れるわけですよね。だから、根っこは一緒なんです。その手段が番組になるのか、デジタルコンテンツになるのかという違いだけで。
■ネットの限界とBSの可能性
――テレビのお話ですと、小松さんは2回放送されたBS民放5局の共同制作特番をいずれも担当されていますが、これもまさにフリーの立場ならではのお仕事ですよね。
たしかに、みんなで共有しやすいスタッフというところで、各局の皆さんが私でいいと言っていただいたとするのであれば、ありがたいです(笑)
――長時間の生放送で各局をリレーしてハプニングもあって…というのは、『27時間テレビ』を彷彿とさせる番組でした。
あれは年ごとにテーマがあって、1回目は4Kで長尺の生放送を各局リレーで当たり前のようにつなぐという技術的なトライだったんですけど、視聴者に向けては昨今テレビが失ってしまっているラフさを出していこうと。(笑福亭)鶴瓶さんと安住(紳一郎)さんがメインだから、トイレに行ってる間に局が切り替わっていくとか、そういう面白みを演出面で出していくという内容でした。
2回目はバナナマンさんだったのですが、コロナというのもあるので、配信のシステムを使ってネット上に仮想のバーチャルな公開番組を作ろうと。画面の後ろにネットでつながった人がいっぱいいてにぎやかしをしてくれて、さらに言えば見ている観客の人の家自体が中継先にもなり得る。そんな融合のさせ方というのが1つのテーマで、もう1つのテーマは偶然の出会いだったんです。ネットの限界というのに関して思ったことがありまして、配信の世界はキーワード検索して自分の見たいものを探して取りに行って見るというのが基本的にあると思うんですけど、それって結局自分の世界から出ることができないんですよね。その窮屈さを人はいつか感じるようになって、配信のコンテンツがつまらなくなってしまうファクターになるんじゃないかと思うんです。それで特に危機的だなと思ったのは、テレビを見てない人が渋谷の飲み屋に行ったら閉まってて、緊急事態宣言が出てること自体を知らなかったということが起きてるんですよ。
僕の経験で言うと、バングラデシュの服の縫製工場で女の子が家族を養うために働いてるっていうドキュメンタリーを見て、フェアトレードというものに目覚めたんですけど、それはたまたま夜中にBSでやってる番組を見たからなんですよ。そういうことが配信では起こらない。かたやBSでは、一生出会わないようなものを取り上げる番組が実はいっぱい並んでいて、一定のお客さんがいて成り立ってる状況が面白いなと思って。偶然サウナの番組を見て、「ちょっと行ってみようかな」となってハマったら、人生が豊かになるじゃないですか。そんなチャンスが、実はテレビにはあるんだということを表現するプレゼンテーションが、2回目のBS共同制作特番だったんです。一応そういう屁理屈でやってるつもりなんですけど、結果「なんとなく面白かった」でいいんですよ(笑)。それでBSにちょっとチャンネルを合わせてみようと思っていただける人がいれば、ありがたいことですから。