――今後、こういう番組や作品を作っていきたいというものはありますか?
番組にとどまらなくてもいいかなと思っています。地上波のテレビの作り手の能力ってすごく高いと思うんです。それを生かす場は配信でもいいし、極論だと事業にしてもいいですよね。そういう意味で、地上波ではまだあまりエンタテインメント化されていないことを題材にできたらいいなと考えたりします。
『志村どうぶつ園』に近いんですけど、その世界を知るきっかけになるものをということで、1つ考えているのはアート。それから、このコロナもあってファッションという分野の変容もすごく加速していくと思うんです。ブランドに代表されるような、それを身につけることで自分自身が変わっていく服もあれば、寒さをしのぎ、快適に仕事をするためという生活に近い服もあったりするじゃないですか。日本テレビにあるいろんなセクションと連携して、そういったものの可能性を広げるお手伝いができたらいいなと思ったりもします。
――コロナで加速したものと言えば、YouTubeや動画配信サービスもありますが、テレビを主戦場とする立場から脅威に感じることはありますか?
脅威は感じていないです。コロナの中でも、やっぱり人間は映像や情報がないと生きていけないと知ったし、YouTubeも動画サービスも、良いものはどんどん取り入れていけばいいと思うのが1つ。それと地上波の良さは、ある種の信頼性だと思うんです。僕らは厳しいコンプライアンスの中で番組を制作していますし、日テレはバラエティと報道の距離が近いので、報道の人がどんな思いで正確な情報を伝えようとしているのかが肌感覚で分かったりするので、「正しく情報を伝える」ということは、やはりテレビの使命なのかなと、最近すごく思いますね。
――このコロナ禍で、制作者として気づかされたことはありますか?
なかなかロケに出られないですし、もうただただ必死にやってますね(笑)。その中で最近すごく思ったのが、ADさんたちのたくましさや能力の高さです。例えばリモートでロケをやるにしても、若い彼らは「こうしたほうが音はよく録れます」といったアイデアをすごく持っていて、教えられる部分が多いんです。いわゆるデジタルコンシャスな彼らを、もっとリアルにものづくりに参加させなきゃいけないなって思いましたし、俺、古いなあとも思いました(笑)
――ボンビーガールの皆さんが、コロナの中ですごくたくましく生きている姿を見て、元気づけられた視聴者も多かったと思います。
ロケに行けない中で苦肉の策として、彼女たちの今を紹介してもらったんですが、思い返すと僕自身もすごい貧乏だったけど、どんなに苦しくても自分らしく生きる方法がきっとあるはずだと信じてたんです。当時はそんなきれいな言葉で自覚していませんでしたが(笑)、貧乏を貧乏として感じないというのが自分の肌感覚であって。だから、彼女たちがこんな状況でも前を向いているということを、いつも以上に色濃く伝えていきたいと思いますね。
■子供の頃からの大スターと仕事「強烈な体験」
――ご自身が影響を受けた番組を1本挙げるとすると、何ですか?
『8時だョ!全員集合』(TBS)ですね。子供の頃、ガッツリ熱狂した唯一の番組で、当時小学校の低学年くらいだったんですけど、その後はあまりテレビを見る時間がなくて。だから、志村(けん)さんは自分にとって最初で最後の大スターで、そんな方と向かい合って仕事をするというのは、強烈な体験なんですよ。『志村どうぶつ園』が始まった当初から、本当にいろいろ志村さんに教えてもらいながら作っていたので。
――スタジオ観覧のお客さんの前で収録の流れを止めないということなど、志村さんのテレビ作りの教えを追悼特番でも紹介されてましたよね。
はい。「生放送だと思いなさい」と言われました。その真意は「エンタテイメントはこうなんだ」ってことじゃないんですよ。単純に『志村どうぶつ園』に来たお客さんを、最後の最後まで楽しませなきゃいけないということだったんです。
――『全員集合』で長年お客さんを目の前に生放送でやってきた経験を、継承してくれたんですね。
そうですね。何も分かってない子供のときに見ていたものが、めちゃくちゃ大人になってからその意味を教えられるわけじゃないですか。やっぱりこれはすごい経験ですよ(笑)
――いろいろお話を聞かせていただき、ありがとうございました。最後に、気になっている“テレビ屋”をお伺いしたいのですが…
一緒に『鉄腕DASH』をやって、それに加えて『ZIP!』もやっている島田総一郎です。毎日4時に起きて『ZIP!』の生放送に入り、それが終わると『鉄腕DASH』に来て…。働く1人の男として尊敬しています。さらに、格闘家としてもいいところまで行った人なので男がほれる男なんですが、ものすごく繊細な部分もあるんです。ぜひゆっくり話を聞いてもらいたいです。