注目を集めるテレビ番組のディレクター、プロデューサー、放送作家、脚本家たちを、プロフェッショナルとしての尊敬の念を込めて“テレビ屋”と呼び、作り手の素顔を通して、番組の面白さを探っていく連載インタビュー「テレビ屋の声」。今回の“テレビ屋”は、日本テレビ系バラエティ番組『天才!志村どうぶつ園』『ザ!鉄腕!DASH!!』『幸せ!ボンビーガール』の総合演出を務める清水星人氏だ。
農業資材メーカーからテレビ業界へ転身という異色の経歴だけあって、インタビューでは時折「視聴者」ではなく「お客様」という言葉が飛び出すのが印象的な清水氏。その意識は、番組作りにどう反映されているのか――。
■「見ていただく方にどんな気持ちになってもらえるか」
――当連載に前回登場したテレビ朝日の米田裕一さんが、清水さんについて「それぞれの番組ごとにまるで“憲法”があるような、番組コンセプトとはまた違う次元の“思想”とも言えるものを感じます。番組を立ち上げるときに、そういったものを考えたり提示したりしても、だんだんやっていくうちに揺らいだり変わっていったりするんですが、清水さんの番組を見ていると、その憲法や思想みたいなものが長寿番組でもずっと変わらないようにお見受けします」とおっしゃっていました。
米田さんが「憲法」と言っていたんですか!? 実はスタッフに話をするときによく使う言葉なんですよ。
お恥ずかしい話、昔から時間がなくてあまりテレビを見ずに育ってきまして…。テレビの業界に本格的に入ったのは30歳前後のときで、それまではいろんな仕事をやっていました。一番テレビから離れたもので言うと、農業資材メーカーで地方のホームセンターの棚に自分の会社の商品を置いてもらうセールスプロモーションをやっていたので、「どうやったらお客さんに買ってもらえるか」をずっとベースにやってきたんです。ひょんなことから、日本テレビが中途採用で拾ってくれて番組を作る機会をもらえたのですが、「こういう番組をつくりたい」というより、「どうしたらお客様のためになるのか」が染み付いている状態でこの業界に入ったんですね。
だから、『天才!志村どうぶつ園』しかり、『ザ!鉄腕!DASH!!』』しかり、『幸せ!ボンビーガール』しかり、見ていただいた方の生活がどんなふうに良くなるのか、どんな気持ちになっていただけるかというところから番組作りを考えます。『ボンビー』だと、自分がすごく貧しい時期が長かったので、「『お金がなくてもなんとかなる』という気持ちになってもらえる番組を商品として作ろう」というのが、出発点の憲法なんです。
――テレビ業界の外にいた時間が長いからこその考え方なんですね。
でも、そのおかげで今も芸能界のことにはすごく疎いんです。ついこの前も、尼神インターさんを知らなくて、プロデューサーに「有名なの?」って聞いちゃったくらい(笑)。だから、キャスティングは「この人いいですよ」と言われたら、「なるほど。じゃあお願いします」という感じで進めることが多いですね。
やはり自分の役割は、見ていただく方にどんな気持ちになってもらえるか、ということに一番注意し続けること。その結果、若手のスタッフとの企画塾などで話すときに「憲法」という言葉を使っているんです。だから、米田さんがそのまま表現していて、びっくりしました。
■取材相手の「ケ」を見せるために
――米田さんは「ナレーターに『ボンビーガール』で山咲トオルさん、『50日間で女性の顔は変わるのか!?』で岩下尚史さんとかクセのある方を起用したり、普通ならガイドとなるBGMを入れるシーンで曲を流さなかったり、登場するスタッフの方にも個性を付けて描いたりとか、演出の手法にすごく独自性があるので、どんな考えで作っているのか…」とも気にされていました。
ん~それは、あんまりテレビを見る機会がなかったからですかね(笑)
――定説に引っ張られず、フラットに見られることが大きいのでしょうか?
そうですね。ナレーターさんは、他の有名な番組で使ってる方を起用したらその番組だと思われちゃうので、せっかく自分の作った番組にチャンネルを合わせてくれているわけですから、やっぱり自分の番組でしか見られないものにしたいということで、なるべく聴いたことのない声や演出を意識していると思います。
ADの子に登場してもらうのは、テレビというものに、よりリアルが求められてきているじゃないですか。昔だったら、「この番組が決めたルールで、こんなゴールに向かっていきます」ということで成立していたのが、今はリアルを求められるので、リアルをそのまま切り取ったような編集で伝える傾向にある。そこで視聴者の方が「これは誰が伝えようとしているんだろう?」と思ったときに、元をたどると僕ではあるんですけど、ADさんも伝える側の1人なので、顔を出して登場してもらっているんです。『ボンビーガール』だと、取材対象者と一番触れ合う人の思いで伝えているんだということを見せてしまったほうが、素直に伝わっていくんじゃないかと思うんですよね。
『ボンビーガール』でもう1つあるのは、これは若干企業秘密な話なんですけど(笑)、タレントさんがレポートに行くと、取材対象者にとって、それが「ハレ」の瞬間になってしまうんです。でも、番組で見せたいのは彼女たちの日常。トイレットペーパーをどこで買うのかとか、収納する場所をどうしようとか、どちらかというと「ケ」を見せたい。だったら、一番同じ目線で、取材相手が「ケ」として接せられる人間=ADさんが行ったほうが、リアルを切り取れるという狙いもあります。
■日テレに“拾ってもらった”感覚
――先ほど「ひょんなことから日テレの中途採用に…」というお話がありましたが、どのような経緯だったのですか?
大学を卒業するとき、メーカーに営業マンとして内定を頂いたんですが、企業向けに映像を作る小さな会社があったんですね。銀行の研修用ビデオとか、スーパーの売場で小さいモニターに流れる販促映像とか、そういうのを作っている会社の人がたまたま先輩にいて、すっかりオルグ(勧誘)されてしまって(笑)。その頃、映像系には全く興味がなかったから、「そんな仕事があるんだ!」と思って、メーカーの内定を蹴ってそっちに行っちゃったんです。
ところが、やってるうちに「ちょっと違うな…」と思って辞めて、農業資材メーカーに入り直したんですけど、やっぱり映像とは真逆の仕事なのでそこも辞めて、前に知り合った映像制作系の人たちに「なんでもいいから仕事やります!」と電話をかけまくりました。それでもテレビ制作という感じじゃなくて、写真を借りに行ったり、テープ運搬したりする下請けの仕事ばかり。それだけじゃ食べられないので、ダイレクトメールのライターをやったり、釣り雑誌に原稿を書いたりと、20代なかば過ぎまでフリーター状態だったんです。年収も180万円くらいしかなくて。
その後、テレ東さんの釣り番組でADみたいなことをやっていたんですが、ある日ディレクターさんが体調を崩して僕が映像をつながないといけなくなっちゃって、実際に編集したらテレ東のプロデューサーの方が「面白いじゃん」とほめてくれて、制作会社の人に「あなたディレクターやりなさいよ」とも言われて。そこからフリーのディレクターみたいな感じになって、その釣り番組やテレ朝さんの朝の情報番組にもお世話になりました。その後、番組スタッフ派遣会社のクリーク・アンド・リバーができたので、そこに登録してからだんだんテレビの仕事が増えて、ようやく「これで食っていけるかも」と思えるようになりましたね。
その後、日本テレビが中途採用を募集していて、当時お仕事をしていたみのもんたさんに「受けてみたら?」と言われたので、ダメ元で応募して受かったのが34歳です。そういう状態で入ったので、日テレにはいまだに“拾ってもらった”感覚があって、最近やっと全身日テレの血になったという感じですね(笑)
――そうすると、夢を追って苦労しているボンビーガールの皆さんを見ていると、共感することも多いのでは?
もう、手にとるように思い出しますね! 不思議なもので、明日のお金がない中、コインランドリーで洗濯を回していたときの感情が、当時から相当時間が経っているはずなのに、すごくリアルに思い出せるんですよ。そこから、「そういう気持ちの人が見たときに、元気が出るものはなんだろう」と思いながら番組を作っています。