注目を集めるテレビ番組のディレクター、プロデューサー、放送作家、脚本家たちを、プロフェッショナルとしての尊敬の念を込めて“テレビ屋”と呼び、作り手の素顔を通して、番組の面白さを探っていく連載インタビュー「テレビ屋の声」。今回の“テレビ屋”は、フリーのテレビディレクター・水口健司氏だ。
お笑い色の強い『水曜日のダウンタウン』(TBS)から、情報系の『ジョブチューン』(同)まで、幅広いジャンルのバラエティ番組を手がけているが、その守備範囲の広さの理由とは。そして、オードリーをはじめとする芸人との“距離の近さ”で心がけていることとは――。
■特別頭を切り替えてる意識はない
僕みたいな雑魚で大丈夫ですか(笑)? この連載に出てくる方たちって局のプロデューサーや総合演出の人たちじゃないですか。僕はフリーのいちディレクターですよ!
――いやいや、前回の記事で次回は水口さんが登場すると予告したら反響がすごかったですよ。当連載に前回登場したテレビ東京の板川侑右さんが、水口さんについて「『水曜日のダウンタウン』(TBS)のようなゴリゴリのお笑い番組から、『ジョブチューン』(同)のような情報系バラエティもやっている。切り替えの早さとストライクゾーンの広さがすごくて、頭の中、どうなってるんだ」とおっしゃっていました。
フリーだったらみんなそうだと思いますよ、特別頭を切り替えてる意識はないかと(笑)。そもそも内容が全然違うので、同じロケでも切り替えるってより仕事が全然違う感じですね。『水曜日のダウンタウン』はゴリゴリのバラエティですけど、ドキュメンタリーでもあるじゃないですか。だから説を検証するために、ドッキリという撮り方をする。一方『ジョブチューン』は情報系の番組なので、取材を重ねて情報を整理してロケに臨む。根本が違うので同じテレビでも違う仕事をしている感覚なんですよね、だから楽しいですよ(笑)
あとナレーションの付け方が全然違いますね。『水曜日』は画面で見て分かれば言わなくていい。逆に『ジョブチューン』は、丁寧に老若男女がわかるようにしなくてはいけない。『水曜日』の編集してからすぐ『ジョブチューン』のナレーションを書くと、もっと説明しないと分からないよって言われます(笑)
――そもそもテレビ業界に入った経緯は?
僕は大学卒業してコンピューターシステム関係の会社に就職したんですよ。システムエンジニア志望だったんですけど、営業に配属されて。それは会社だから仕方ないんですけど、自分のやりたいことじゃないから、面白くない。正直このまま40年これを続けるのはキツいと思ってしまって辞めてしまったんです。
それで面白いことってなんだろうって考えてたら、同級生がADをやっているのを知って。24歳だったんですけど、当時はADをやり始めるにはちょっと遅い年齢だったから面接の時に「大丈夫か?」って言われましたね。
面接受けてから3日後くらいに採用されたんですけど、派遣されたのが『ガチンコ!』(TBS)だったんです。そのADやってる同級生から言われてたんですが「絶対に『ガチンコ!』だけはいかないほうがいい」「その名前のとおりだから」って(笑)。「マジか!」って思ったけど、選べる立場でもないですしもうやるしかないと。
――その『ガチンコ!』の現場は実際どうでしたか?
(ボクシング企画の)「ファイトクラブ」とかやってるからみんな血の気が多いんですよ。だから全員怖かったですよ。今だったら全員クビになるレベル(笑)。トップの合田(隆信、現・TBSテレビ編成局長)さんをはじめ、ディレクターも雲の上の人ですから、ほとんど企画のことを話す機会なんてなかったですし、その下にチーフAD、セカンドAD、サードADと続く完全な階級社会。それは当時、どの番組でもそうだったでしょうけどね。
自分は特に末端だったんで、いま自分がやっている仕事がどう企画につながっているかさっぱり分からず、言われるままに仕事をこなしている状態でした。仕事に終わりがないので本当に帰れなかったですね、全然寝れない、風呂も入れない、さらにご飯食べていると暇だと思われるとか…理不尽というか地獄でした(笑)。あとディレクターが帰って「やっと寝れる!」って思っても、スタッフルームで寝てるADに先輩ADのイタズラ祭りが始まるんですよ。だからうかうか寝れませんでしたし、それはもうヒドかったですね(笑)
■初めて手応えを感じたサンド富澤のコント
――『ガチンコ!』でディレクターになったんですか?
『ガチンコ!』は番組自体、僕が入って10カ月くらいで終わっちゃったんですよ。その後『学校へ行こう!』のADをやっていたんですけど、途中で『リンカーン』が立ち上がると聞いて「ダウンタウンと仕事したい」と思い、会社に無理を言ってADとして入ったんです。『リンカーン』は坂本(義幸)さんを筆頭に手練のフリーのディレクターが集まっていたんです。その中の1人が抜けたことによって、おそらくADたちの士気を高める意味もあって僕がディレクターに昇格したんです。
――ディレクターになって手応えのあった企画は?
『リンカーン』ではほぼゼロです。ディレクションのことを何も分からないままディレクターになりましたから。先輩がやっているのを見様見真似でやるしかない。演者の方たちもすごい方ばかりですから、素材自体が面白い。自分で演出して面白いものを作ったっていう感じはなかったです。
自信がないまま3年くらいやって、かなり悩んで自分から辞めさせてほしいと坂本さんに言いました。この番組では自分みたいな若手ディレクターが修業する場所でもないし、何より失敗ができないなって。もちろんどの番組も失敗はできませんが(笑)
初めてディレクターとして手応えを感じたのは『ぜんぶウソ』(日本テレビ)ですね。サンドウィッチマンの富澤(たけし)さんがツンデレ喫茶を開業する素人を演じるフェイクドキュメンタリー風のコントでした。1人で撮って編集して見てもらったときに、演出の安島(隆)さんも塩谷(泰孝)さんも笑ってくれて。「ああ、これか!」と。ウケるって気持ちいいんだなって。自分の分岐点だったと思います。