――もうアナウンサーの話じゃないですね(笑)。昭和のお笑い芸人さんの話を聞いているみたいです。
そうですね。逆にアナウンサーがそういうことをやるから面白いというのが、当時のプロデューサーの発想だったので。
――ウジ虫の着ぐるみを着た、なんてこともあったそうですね。
ありましたね。ウジ虫の着ぐるみを着て、銀座のど真ん中に行き、学校帰りの小学生に「ウジ虫君だよ?」って話を振るという企画だったんですけど、そうしたら、傘でガンガン突っつかれて(笑)。
――ひどい目にあってますね(笑)。これだけの経験されている編成局長はいないんじゃないでしょうか。ただ、ここまでやれば、ムチャクチャ度胸はつきそうですね。
どういう感覚でいたのか、自分でもよくわからないですけど(苦笑)。まあ、そうですね。生放送に向けての度胸はつくかもしれないですね。
■吉田照美、大竹まこと、さだまさし、伊東四朗からの影響
――太田さんから見た吉田照美さんはどういう方ですか?
面白いものに対するあくなき探究心がものすごく強い方ですね。先日、70歳になられたばかりですけどお元気で、私が編成局長になったと言った瞬間に、「番組やらせろ! 番組やらせろ!」と激しい攻撃があって(笑)。すごくエネルギッシュな人ですね。
――やはり影響を受けた部分も大きいですか?
そうですね。やっぱり「面白くなければラジオじゃない」というか、「面白くないことは喋っちゃいけない」という哲学の方なので。そういう意味では、“吉田照美イズム”が体にものすごく染みついていますね。内輪で褒め合うことを何よりも嫌いますし、本音ではないことをものすごく嫌いますし、ある種、照美さんは僕の中で“教科書”ですね。
――他に影響を受けた方は誰になりますか。
たくさんいらっしゃいますけど、大竹まことさんですね。哲学的なことでも、時事問題に関することでも、オリジナルな意見をしっかり持っていらっしゃる方ですが、一方で本当にくだらないこと、シュールなことが大好きで。番組全体で両方が同居していて、ジェットコースターのように行ったり来たりするのが面白い、という共通の認識が大竹さんと私の間にはあったんで、14年間も一緒に番組をやれたのかなと思いますね。
――確かに『ゴールデンラジオ』の魅力はそこにありますよね。
あと、さだまさしさんでしょうか。ずっと文化放送で番組をやってくださってますけど、私が入社した頃はおはがきでリスナーの方とやりとりする形で、さださんの場合、ハガキ用の状差しがあったんですけど、ジャンル別や文章の長短で分類してあったんです。長いハガキで盛り上がったら、1枚短いものを挟んだり、全部自分の中で事前に組み立てていらっしゃったので、すごいなあと思いました。
伊東四朗さんにも影響を受けました。好奇心のアンテナがものすごく張り巡らされていて、庶民感覚を忘れないと。素晴らしいパーソナリティだなと思いました。
■太田英明
1963年5月19日生まれ。1986年、アナウンサーとして文化放送に入社。入社後は、『東京っ子NIGHTお遊びジョーズ!!』『吉田照美のやる気MANMAN!』『From C Side』『大竹まこと ゴールデンラジオ!』など数多くの番組を担当。2020年9月、『大竹まこと ゴールデンラジオ!』の放送内で内示を受け、10月1日付けで編成局長に就任した。