■プロデューサーから「ごめん。天才じゃなかった」
――入社翌年の87年4月から、早くも夜ワイド番組『東京っ子NIGHTお遊びジョーズ!!』の金曜日を任されました。今考えると、大抜てきじゃないかと思うんですが。
入社1年目に当時の名物プロデューサーにオーディションとして録ってもらったんですが、自分の中ではまったく出来が悪かったんですけど、最後に「太田君、よく頑張ったよ。偉い。ダメだったけど、こんな大変な状況で、新入社員なのに、よくやった」というようなことを自分で言ったんです。
そうしたら、そのプロデューサーが面白がってくれて。「お前、もしかしたら天才かもしれない」と(笑)。そうして、バタバタしている間に、入社2年目で2時間半のワイド番組を担当させてもらったんです。
――異例な形でアナウンサーのキャリアがスタートされていたんですね。
ただ、当時は芝浦の倉庫街にスタジオを借りて、そこから放送していたんですけど、3回目の放送が終わったあとにプロデューサーに呼び出されて。ベイエリアのプロペラが回っているようなオシャレなお店だったんですけど、そこで「ごめん。天才じゃなかった」と謝られました(苦笑)。案の定、1年で終わってしまいましたけど。
――それでも大きな人気を博した『吉田照美のてるてるワイド』の後枠で、裏番組は同じく大人気だった『三宅裕司のヤングパラダイス』(ニッポン放送)ですから、ムチャクチャ厳しいポジションですよ。
ちょっと無茶だったなと自分でも思います。考えてみると、ずっと会社の方針に翻弄されてきた人生ですね。ひどい会社だな(笑)。
――そのあと、『15はドキドキ ピンクコング』(ナイターオフ番組)、『今夜もBREAK OUT ラジオバカナリヤ』といった夜ワイド番組を担当されましたが、どれも長続きしませんでした。以前、雑誌の対談記事で「大ごけした」という発言をされていましたが、太田さんの中でもうまくいかなかったというショックは大きかったですか?
大きな番組を担当すると、根がお調子者なんで、勝手にイメージを膨らませて、「大成功したら、こんな風になるんじゃないか? すごくモテるんじゃないか? 有名人と友達になれるんじゃないか?」と妄想をしてしまうんですけど、やっぱり現実は上手くいかなくて。肉体的にも精神的にも疲労が重なっていき、「なかなか世の中は難しいなあ」と日々過ごしておりました。
■徳永英明とのラジオ番組を語る
――個人的に一般のリスナーさんのラジオ遍歴をインタビューする企画をやっているんですが、その中で、太田さんと乃生佳之さんがやっていた『ノオチンと太田さんのピンコン二人旅』のことを話されていた方がいらっしゃって。最終回に乃生さんが突然、「往復ハガキを送ってくれれば、太田さんがサインを書いて返信します」と言い始めて、1年後に本当にサインが送られてきたとおっしゃっていたんですよ。
懐かしいなあ。乃生さんは“ノウチン”と呼ばれてまして、“歌って踊れるうどん屋さん”と言ってて、もともとはジャニーズで田原俊彦さんのバックで踊っていた方なんですよ。
――当時は徳永英明さんとの“ダブル英明”で『From C Side』という月~金放送の30分番組もやられていました。「ゲストを呼んでファーストキスの話を聞く」なんて曜日もあって、今考えるとすごい番組だったんですね。
懐かしい。すごく下ネタもたくさん出て、大物ミュージシャンがゲストでも、一応ファーストキスの話を振っていましたね。
――番組タイトルにある「C」は、恋愛における「キスがAで…」という隠語の「C」を意味してるという、これまた大胆なネーミングで。
そういう意味も忍ばせて、リスナーさんからそういう体験も募集して紹介していました。
――ハガキは毎週5000通近く届いて、番組の機関誌も作っていたとか。
当時、花王がスポンサーをしてくださっていて、全国34局フルネットの番組だったんです。社内にも事務局のような形で番組だけの部屋があって、デスクの女の子が2人ぐらい常駐していました。
花王の商品を買ってくださった方たちを集めて、日本武道館で番組の公録をするというのがお馴染みの企画で、私は2年連続日本武道館で歌ったアナウンサーだったんです。1年目は荻野目洋子さんと、2年目は徳永英明さんと森高千里さんと一緒に歌わせていただきました。
――これもまだ入社4年目なんですね。
面白いのが、当時はインターネットもなかったので、顔バレしていないパターンがあったんです。イベント開始前に、前説として私がタキシードを着て出ていくんですけど、最初にスポットライトを浴びて出てきた男性が徳永さんじゃないとわかると、1万人のお客さんが「ああ……」って落胆しますよね。
そのあと、「こんばんは。今日はようこそ。文化放送の太田英明です」って声が出ると、「おお!」とガラッと変わるんですよ。今はSNSやインターネットが定着していますから、皆さん顔は知っているので、そういうリアクションはないと思うんですけど。
■太田英明
1963年5月19日生まれ。1986年、アナウンサーとして文化放送に入社。入社後は、『東京っ子NIGHTお遊びジョーズ!!』『吉田照美のやる気MANMAN!』『From C Side』『大竹まこと ゴールデンラジオ!』など数多くの番組を担当。2020年9月、『大竹まこと ゴールデンラジオ!』の放送内で内示を受け、10月1日付けで編成局長に就任した。